フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 




 東京学芸大学助教授の大井田義彰さんから、『《文学青年の誕生――評伝・中西梅花――』(七月堂、1890円)という本をいただきました。
     
 と、いつもの本紹介の書き方から始めましたが、なんだかそんな書き方が気恥ずかしくなるような気がするのは、この本の著者が私の学生時代の同級生だからかもしれません。大井田さん(さん付けするのも違和感ありますが…)と私は東京学芸大学の同級生で、中学や高校の国語教員になることを主な目標とする学科で勉強していました。ただ、当時から、東京学芸大学には文学研究者としてすぐれた教授陣がそろっていて、そんな環境の中で、大井田さんも私も文学研究への関心を強く持つようになっていったように思います。
 大井田さんの著書は、一般の方には無名の存在である、明治の詩人・中西梅花に関する評伝です。一般の方には、と書きましたが、専門家の間でも十分な研究が進んでいない文学者の一人でもあり、その意味でも貴重な研究書が刊行されたと言えます。
 また、そのような立場の文学者に関する著書を出すのに、大井田さんのとった評伝というスタイルも、この無名の文学者を紹介しつつそこに自分なりの知見を加えていくという意味で、有効な方法になっていると感じました。一例を挙げると、第二章で「機姫物語」や「櫨もみぢ」といった小説を論じている箇所、投げやりな結末で意味不明な部分も多いこの二つの小説に関して、大井田さんは、年代の特定されていない梅花の恋愛経験を合わせて考え、その経験を「機姫物語」執筆中と考えると多くの謎のつじつまが合う、と考察しています。これなどは、資料だけから言えば断定できない問題ですが、それに著者自身の創造性を加えることによって、大きく視界がひらけるようになるという実例でしょう。
 私たち研究者というのは不自由なものので、きちんとした資料や根拠に基づいて論を立てていかなければ、それは、単なる推測あるいは想像になってしまいます。その一方で、文学の研究のような、人間の行為に関する研究は、資料や証明だけでは埋めきれないものが残ることも事実です。その意味で、大井田さんのこの本でとった方法は、資料や文献を重視しつつ梅花という特異な文学者の意味を追究する、有効かつ興味深い方法になっていると感じました。

     


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