そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

12月17日(木)ずっと授業で、忘年会も

2015年12月17日 | 公開

  午後はまず博士課程の研究指導。A君の発表は、かなり可能性のある内容だった。ここをこう切り取って、こう展開したら、せこはん文学会の大会発表にちょうど収まるのではないか。さすが、歴史学の先生のゼミにも顔を出させていただいている効果があったというものだ。私の研究室は完全にフリー、リリース状態で、どこへでも好きなところにもぐりこんで、他流試合をしておいでという方針なのだ。もとより二流の研究者なれど、指導教授より優れた研究者を輩出できなければ、教育者としての面目はありません。

  4時限は空き時間のはずが、Uちゃんが日曜に行う研究発表を聞いて欲しいと言うから、K法師と一緒に拝聴する。なかなか詰めた内容で面白かった。下発表、ちょっとこれ大学のねこさんは、お気に召さなかったそうだが、そんなことはない。50分きっちりの発表時間も見事。ただ、作品名などの読み間違い、気になったんだけれど・・・。

  5時限は修士演習。その後の学生研究会の発表と、T君には連雀で気の毒をした。19:00に切り上げて、研究会の忘年会へ。学部生は誰も来ず、結局うちの研究室の院生と、帝国大学の院生Oさん、計7名の顔ぶれで四川料理店に入る。どうも居眠りしたらしく、途中から記憶が無くなった。Oさんは修士論文を提出して一段落だろう。帝大は300枚なのだそうである。

  私の研究室には中国人留学生が2名居るのだが、どこの中華が美味しい?と尋ねたら、御徒町の「故郷味」がよいとのこと。御徒町は時々行くので、l今度試しに入ってみるかな。アフガニスタン料理店や、日暮里の「ザクロ」なんかも気になっているんだが・・・。


12月17日(木)卒論ゼミ打ち上げ

2015年12月17日 | 公開

  卒論は全員分提出されたので、本日の「卒論ゼミ」は打ち上げじゃ、喫茶店集合でケーキと飲み物を奢ると連絡したのだけれども、やって来たのは大学院進学予定者のみであった。この女子学生は、高校時代、俵万智の「カンチューハイの君」に習ったという。その「カンチューハイの君」の坊ちゃんが、大学院では貴女の1年先輩になるんだよ…と話すと、驚いていた。

  卒論と言えば、電車の中で池波正太郎のエッセイを読んでいて、ドキッとした。

  「・・・先ず、高島屋へ出かけ、たまっていた買い物をすませ、地下鉄で、はじめて高田馬場へ行く。その速さにおどりく。十五分ほど早稲田に着き、穴八幡のあたりから、ぶらぶら、フルヤ万年筆店まで歩く。手製の万年筆を二本買いもとめ、持参したオノトの軸を取り替えてもらう。この万年筆は私が直木賞を受けたとき、故玉川一郎氏が下すった記念の品だ。それなのに軸を割ってしまい、別の万年筆の軸をつけておいたのだが、フルヤにはオノトの軸があるとわかったので、替えてもらったのだ」。

  古屋万年筆店は、早稲田通りと明治通りの交差点、馬場口の、南西角にあった小さなお店だ。学生時代、バスに乗る金が無かったから、高田馬場から早稲田通りを歩いて通学していたので、よく知っていた。卒論を書く時期になって、当時は原稿用紙に万年筆で書くのが普通だったから、古屋万年筆店でペリカンを買った。ところが私は筆圧がものすごく高くて、300枚ほどの卒論を書き上げたら、ペン先が摩滅してしまった。それをお店に持って行くと、こんな減り方は初めて見たと言って、ご主人に取り替えてもらった思い出がある。池波の文章にもあるとおり、オリジナルの万年筆も作っていて、その中でも一番太いのを、たしか2万円だったと記憶するが、思い切って購入したのが今も手元にある。それを買う際にご主人から、これは誰にでもお薦めは出来ない品ですと、何度も何度も念を押されたのであった。

  卒論の思い出である。