(カレッジJDS)
川崎の駅前で自転車を借りて川崎駅周辺を探訪した。
内侍御奉安所跡
川崎駅近くの京急大師線沿いに内侍御奉安所跡と記された石碑が建てられている。内侍奉安所とは、神鏡を奉安するための場所で、かつて女官(内侍)が奉仕したことから、そのように名付けられた。
明治元年(1868)十月十二日、明治天皇は京都から東京に行幸の際、田中本陣で昼食をとった後、休息して高齢者や善行者に褒美を下した。この時の一行は総数七千八百人という大行列であった。この時、内侍所は、田中本陣の隣、紀伊国屋平兵衛宅に設けられた。
(六郷大橋南詰)
明治天皇六郷渡御碑
多摩川に架かる六郷大橋の南詰に明治天皇六郷渡御碑がある。当時、多摩川には橋が架けられていなかったため、対岸まで二十三艘の船を並べて船上に板を敷いて渡御を仰いだ。その時の様子が石碑側面にレリーフになって再現されている。
武州六郷舩渡圖
六郷の渡し付近
(幸町)
明治天皇御幸之蹟
川崎市幸区幸町、明治天皇が渡橋した地点に「明治天皇御幸之蹟」碑が建てられている。台座には「渡橋記念之碑」と記されている。題字は有馬良橘。
(御幸公園)
明治天皇臨幸御観梅跡
御幸公園は小向梅林跡にできた公園で、この地の梅林は、江戸時代の初め(寛文年間)に植えられたのが最初である。明治初年の多摩川の氾濫でその三分の二以上を失った。明治十三年(1880)、成島柳北がここを探勝し、「小向観梅の記」という一文を起こし広く紹介したことから、一躍梅の名所として知られることになった。明治十七年(1884)三月十九日、明治天皇が観梅のために行幸した。川崎市では、令和六年(2024)の市制百年に向けて明治天皇ゆかりの梅林の復元に取り組んでいる。
明治天皇臨幸御観梅跡碑は総理大臣、侍従長を歴任した鈴木貫太郎。
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