史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

秦野

2022年06月11日 | 神奈川県

(本町小学校)

 

贈従五位安居院庄七翁碑

 

 本町小学校の正門西側に安居院庄七の顕彰碑が建てられている。安居院庄七は、相模国大住郡蓑毛村(現・秦野市)に生まれ、長じて安居院家の養子となり、のちに報徳社を設立して二宮尊徳の教えを広め実践した人物。この石碑の書は、遠州七人衆と称された岡田佐平治の孫にあたる岡田良平(貴族院議員、枢密院顧問、大日本報徳社社長)による。

 

(出雲大社相模分祠)

 

出雲大社相模分祠

 

 出雲大社相模分祠は、明治二十一年(1888)に、島根県御鎮座の出雲大社第八十代国造千家尊福公に請願して、当地累代の神職であり、「秦野煙草の祖」と仰がれる草山貞胤翁が、出雲の大神の御分霊をこの地に鎮祭申し上げ、大国主大神の御神徳を関東地方に広めるための要処としたのを創まりとする。

 

分院創立者 初代分院長

草山貞胤先生

 

草山貞胤翁顕彰碑

 

 草山貞胤は、文政六年(1823)、当所氏神の社家草山和泉の世継ぎに生まれた。安政五年(1858)、十九社の神社を兼務した。嘉永五年(1852)より煙草栽培を研究し、温床の開発、育苗、早期収穫、密植多収、木枯等各種乾燥法、水車機械刻等技術革新を進め、全国より耕作指導を依頼された。貞胤は耕作指導員を多數養成して全国に派遣。我が国の煙草栽培技術革新に大きく貢献した。明治二十一年(1888)、出雲相模分院を創立し、のちに報徳二宮神社創立発起人として努力し、その初代神職となった。

 

御嶽神社

 

草山先生彰徳碑

 

 御嶽神社に隣接して草山家があるが、その庭先に草山貞胤の彰徳碑が建てられている。大正九年(1920)十月の建碑。

 

(浄圓寺)

 浄圓寺の墓地入口付近に草山家の墓域があって、その中に草山貞胤の墓がある。

 

浄圓寺

 

報徳二宮神社祠官兼少教正

草山貞胤千規矩八量大人之墓

 

 草山貞胤は、明治三十八年(1905)、八十三歳で帰幽。

 

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