史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

根岸共同墓地

2022年03月12日 | 神奈川県

(根岸共同墓地)

 桜木町駅で根岸共同墓地前を通る路線バスの乗り場を探して右往左往してしまった。三十分近く駅周辺を歩き回ってやっと乗り場に行き着いた。久保山墓地ほどではないが、根岸共同墓地もかなり広い。ここから当てがあるわけではないが、まず石川徳右衛門の墓を探す。

 

積善院仁山壽榮徳翁居士(石川徳右衛門の墓)

 

 石川徳右衛門は文化二年(1805)の生まれ。家は累世横浜村の名主で、代々徳右衛門を襲名している。安政元年(1854)、ペリーの再渡来に際しては、横浜村の名主として、村内の治安の維持、あるいは幕吏との交渉、応接所の設営、また警衛のため派遣された藩兵の糧食、住居などを請け負った。安政六年(1859)、横浜が開港場となると、命じられて横浜町の総年寄となって町政に参与した。明治十八年(1885)、家督を譲り、明治二十二年(1889)、年八十五歳で没した。

 

寿徳院殿孝山静道大居士(木村利右衛門の墓)

 

 木村利右衛門は、天保五年(1834)の生まれ。上総国望陀郡の豪農松崎儀兵衛の四男。養子として木村家を継ぎ、明治四年(1871)、横浜に移って仲屋横浜店を開き、繊維品を商った。明治十三年(1880)、横浜正金銀行の創立とともに取締役に就き、その後も横浜共同電燈会社、横浜電線製造会社の社長を務めた。大正八年(1919)、年八十五歳で没。

 

 根岸共同墓地には明治に貿易商として活躍した茂木惣兵衛の墓もあるはずだが、探しきれなかった。次回の課題である。

 

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