史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

保土ヶ谷 Ⅲ

2022年03月12日 | 神奈川県

(大仙寺)

 保土ヶ谷駅近くにある大山寺は、保土ヶ谷宿の本陣名主役を務めた軽部清兵衛家の墓地がある。

 

大仙寺

 

軽部家之墓

 

清心院恭愍悦甫居士位(十代 軽部清兵衛の墓)

 

 十代清兵衛は、寛政五年(1793)の生まれ、諱は悦甫。十歳で父と死別し、直ちに清兵衛を襲名した。世職の本陣・名主役を勤め、問屋役はいとこの泉専助が後見役となって七ヵ年代理を務めた。幼年期、東輝庵の物先に手習を、宿内の藤木四郎兵衛に算術を習った。安政六年(1859)、横浜が開港されると、宿内の職務のほか、横浜町の総年寄を命じられ、初期横浜の発展に尽力した。歩合銀制度をこしらえ、町の財政の基礎をつくった。文久元年(1861)、病身により総年寄を退き、十一代清兵衛悦選(墓石によると悦巽)が跡を継いだ。慶應元年(1865)、年七十三で没。

 

謹成院殿肇譽悦巽居士

(十一代 軽部清兵衛の墓)

 

問屋場跡

 

 問屋場跡、高札場跡は、現JR保土ヶ谷駅近くを走る旧東海道にある。

 

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