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史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

会津坂下 Ⅲ

2018年12月21日 | 福島県
(気多宮墓地)

 心清水八幡神社を参詣した後、竹様に気多宮墓地に連れて行ってもらった。竹様によれば、五年ほど前に松平平左衛門の古い墓は建て替えられたという。


会津戊辰戦争
玄武隊 松坂平右衛門の墓

(心清水八幡神社)


心清水八幡神社


吉田松陰東北遊日記碑

 心清水八幡神社参道に吉田松陰東北遊日記の碑がある。松陰は、嘉永五年(1852)、脱藩して肥後藩の宮部鼎蔵とともに東北を遊歴した。本神社には同年二月六日に立ち寄り、宝物を拝観した。当時の祠内兵庫頭を、日新館の師範高津平蔵の紹介で訪れた。翌日は束松峠を越え、越後を経て東北を一周した。
 参道の記念碑は、松陰の「東北遊日記」から拡大してそのまま影写したもので、松陰の右肩上がりの癖のある字を楽しむことができる。

(西光寺)
 西光寺に武田惣吉の墓がある。武田惣吉は大東流合気柔術の創始者武田惣角の父。文政三年(1820)の生まれ。会津藩士。宮相撲の力士で、剣術、槍術、棒術、柔術にも長けていた。学問にも秀で、西光寺で寺小屋を開いて近所の子弟に教えていた。禁門の変にて活躍。戊辰戦争では力士隊を率いて奮戦した。会津戦争では西郷頼母隊に所属した。戦後、越後高田で謹慎。


西光寺


父母如在(武田惣吉の墓)

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2 コメント

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西光寺 (池月映)
2022-04-14 08:22:19
はじめまして、武田惣角研究の池月映です。大東流の歴史は本人・子孫ともに仮託(創作)され、会津坂下町の人物紹介は大東流創始者に訂正されています。
 墓は惣右衛門、惣吉、武三郎の名前があり、神道のため父母如在になりました。近くに実子宗清が建てた武田家代々の墓があります。
 明治戸籍(控)は農民で、戊辰戦争の名簿は竹田惣吉、足軽分(農民)です。農民と火災による借金返済に苦悩し、霊山神社宮司に相談し、大東流の名称、歴史の格式を与えられました。
 なお、柳津町円蔵寺に小野派一刀流門徒奉納があり、竹田宗角、武芸十八般を教えた隣の佐藤忠孝(父は藩士御供番)の証拠が見られます。
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はじめまして (Unknown)
2022-04-16 20:43:04
池月映さま

コメントおよび貴重な情報を、有り難うございます。
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