(気多宮墓地)
心清水八幡神社を参詣した後、竹様に気多宮墓地に連れて行ってもらった。竹様によれば、五年ほど前に松平平左衛門の古い墓は建て替えられたという。
会津戊辰戦争
玄武隊 松坂平右衛門の墓
(心清水八幡神社)
心清水八幡神社
吉田松陰東北遊日記碑
心清水八幡神社参道に吉田松陰東北遊日記の碑がある。松陰は、嘉永五年(1852)、脱藩して肥後藩の宮部鼎蔵とともに東北を遊歴した。本神社には同年二月六日に立ち寄り、宝物を拝観した。当時の祠内兵庫頭を、日新館の師範高津平蔵の紹介で訪れた。翌日は束松峠を越え、越後を経て東北を一周した。
参道の記念碑は、松陰の「東北遊日記」から拡大してそのまま影写したもので、松陰の右肩上がりの癖のある字を楽しむことができる。
(西光寺)
西光寺に武田惣吉の墓がある。武田惣吉は大東流合気柔術の創始者武田惣角の父。文政三年(1820)の生まれ。会津藩士。宮相撲の力士で、剣術、槍術、棒術、柔術にも長けていた。学問にも秀で、西光寺で寺小屋を開いて近所の子弟に教えていた。禁門の変にて活躍。戊辰戦争では力士隊を率いて奮戦した。会津戦争では西郷頼母隊に所属した。戦後、越後高田で謹慎。
西光寺
父母如在(武田惣吉の墓)
心清水八幡神社を参詣した後、竹様に気多宮墓地に連れて行ってもらった。竹様によれば、五年ほど前に松平平左衛門の古い墓は建て替えられたという。
会津戊辰戦争
玄武隊 松坂平右衛門の墓
(心清水八幡神社)
心清水八幡神社
吉田松陰東北遊日記碑
心清水八幡神社参道に吉田松陰東北遊日記の碑がある。松陰は、嘉永五年(1852)、脱藩して肥後藩の宮部鼎蔵とともに東北を遊歴した。本神社には同年二月六日に立ち寄り、宝物を拝観した。当時の祠内兵庫頭を、日新館の師範高津平蔵の紹介で訪れた。翌日は束松峠を越え、越後を経て東北を一周した。
参道の記念碑は、松陰の「東北遊日記」から拡大してそのまま影写したもので、松陰の右肩上がりの癖のある字を楽しむことができる。
(西光寺)
西光寺に武田惣吉の墓がある。武田惣吉は大東流合気柔術の創始者武田惣角の父。文政三年(1820)の生まれ。会津藩士。宮相撲の力士で、剣術、槍術、棒術、柔術にも長けていた。学問にも秀で、西光寺で寺小屋を開いて近所の子弟に教えていた。禁門の変にて活躍。戊辰戦争では力士隊を率いて奮戦した。会津戦争では西郷頼母隊に所属した。戦後、越後高田で謹慎。
西光寺
父母如在(武田惣吉の墓)
墓は惣右衛門、惣吉、武三郎の名前があり、神道のため父母如在になりました。近くに実子宗清が建てた武田家代々の墓があります。
明治戸籍(控)は農民で、戊辰戦争の名簿は竹田惣吉、足軽分(農民)です。農民と火災による借金返済に苦悩し、霊山神社宮司に相談し、大東流の名称、歴史の格式を与えられました。
なお、柳津町円蔵寺に小野派一刀流門徒奉納があり、竹田宗角、武芸十八般を教えた隣の佐藤忠孝(父は藩士御供番)の証拠が見られます。
コメントおよび貴重な情報を、有り難うございます。