史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

熊本 花園

2015年04月11日 | 熊本県
(本妙寺)


本妙寺 仁王門

 大正九年(1920)に建立されたという本妙寺仁王門は、鉄筋コンクリート製。この巨大な建造物を通り過ぎると、参道の両側には合わせて十二もの塔頭寺院が並び、浄池廟まではまだ五百メートルもあるだろうか。私は仁王門前にレンタサイクルを置いて歩いたので、往復でかなり汗をかいた。


胸突雁木

 浄池廟の手前には百七十六段もの石段があり、その中央には信者から寄進された石灯籠がぎっしりと並ぶ。
 浄池廟は加藤清正を祀るもので、さらにここから三百段の石段を登ると、裏山に清正の銅像が建っているらしいが、早くも体力を消耗した私はここで引き揚げることにした。

 嘉永三年(1850)、九州遊学中の吉田松陰は、聾唖であった弟敏三郎の治癒を願って、本妙寺に参詣している。松陰は生涯を通して基本的には神仏に頼ることはなかったが、敏三郎の病気のことは別だったようである。


浄池廟

 本妙寺は西南戦争の戦火により大本堂などを焼失し、明治二十七年(1984)に再建されている。


浄池廟 三条實美書

 浄池廟中門の扁額は、三条実美によるものである。

(雲晴院)
 本妙寺には塔頭がたくさん付随していて、それぞれ墓地を持っているので、参道を歩いていても、見渡す限り墓地が広がる。恐らくゆっくりこの中を散策すれば、思わぬ人との出合いがあるだろう。
 たまたま参道を歩いていて目に入った雲晴院の神風連関係者の墓を紹介しておこう。


雲晴院

 長男小篠一三(二十九歳)と次男山田彦七郎(二十五歳)は、乱が鎮定されると島原に渡り、再挙を図ったが、その機会なく熊本に帰り、中島の荒木社にて自刃した。三男小篠清四郎(二十二歳)と四男源三(十八歳)は、同志と金峰山南麓に潜んでいたが再挙の望みなく、谷尾崎の山王社で自刃した。源三の愛犬「虎」は、帰らぬ主人を探し求め、家人が源三の墓を教えるとそこを動かず餓死したという。


小篠四兄弟と義犬の墓

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