史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

函館 住吉町

2013年10月13日 | 北海道
(立待岬)


立待岬

 十八世紀に幕府が箱館を直轄地とすると、警備のために立待岬にも台場を築いた。また、第二次世界大戦までは要塞地帯法により、市民の立ち入りが禁止されていた。現在は津軽海峡を望む景勝地となっている。


立待岬

(住吉墓地)
 立待岬に至る途中には、大きな墓地が広がっている。中には石川啄木の一族の墓がある。
 啄木と函館との関係は深い。実際に函館に住んでいたのは明治四十年(1907)の五か月程度の短いものであったが、啄木自身の「死ぬときは函館で」という言葉に従って、この地に墓標が建てられた。


啄木一族の墓


田本研蔵之墓

 住吉墓地を歩いていて、写真師田本研蔵(榎本武揚や土方歳三の肖像写真を撮影)、石工の備前喜三郎(五稜郭や弁天台場の石造りを担当)、代嶋剛平(箱館奉行所支配定役)などの墓に出会った。


備前喜三郎之墓


贈中教代嶋剛平墓
 探せばまだまだ幕末維新関係の人物の墓を見つけることができそうであったが、ここで体力、気力が尽きた。

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