夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

打豆製造機試験

2013-01-17 22:42:46 | 私と福祉とであいの旅
1月18日(金)

 弘前市では最高気温が連日マイナス4℃を更新して、積雪量もすでに1メートルを超えています。1月中の積雪最高は過去2009年が113cmということですから、記録更新することは間違いないようです。

 さて、打ち豆製造機を、いよいよメンバーのYさんに試験をしてもらいました。(写真)Yさんは手に何かを持つと不随運動(震え)がありますが、引く力はあるのでひもを付けて引いて緩めるという動作をすることで、打ち豆ができました。
 昨日はYさんの動作に合わない部分を修正しながら、機械の改造を一緒に進めました。
 約100gの打ち豆が、こうして何とか生産できることがわかりました。
 
 今まで意欲はあっても、なかなか生産活動に参加できなかったYさんは嬉しそうでした。
 

 この後打ち豆を電気乾燥機にかけて、

更に水分を飛ばすために15時間乾燥させます。果たしてどのような製品ができるのか楽しみです。

 
 
 

試作品・打ち豆製造機

2013-01-14 14:05:37 | 創作(etude)
1月14日(月)

 車いすの方で手に付随運動があるために、生産的な仕事が難しい方用として試作したものです。


 大豆をこの木づちのようなもので打って、つぶした後乾燥させて販売する予定です。打ち豆は日本海側の農家で、おじいさんやおばあさんが冬期間石臼などを使って作っているのを見たことがあります。
 手で打つと一回ずつ強度が違うために、製品にばらつきが出ます。それを均一化するためにこの角度以上に上がらないようになっています。
 来年度の作業種目を増やそうと、現在いろいろ思案中です。豆打ちの台は、ちなみに陶芸用のロクロです。

埋蔵能力

2013-01-14 07:23:10 | つれづれなるままに
 だいぶ前のことですが、人間の脳細胞について驚いたことがあります。

【脳と脳細胞 ~脳細胞の数と実際に使っている細胞の数とは?】

 人間は大体140億個の神経細胞を持っています。しかし、この140億個という数は細胞全ての10%程度にすぎず、残り90%はグリア細胞と呼ばれるもので出来ています。グリア細胞は、神経細胞に栄養を送ったり、伝達速度のアップなど、様々な役目を果たしているようです。

 脳の重さは、小学校低学年頃までにほぼ成人と同じまでに成長。その後は重さもほぼ変わりません。脳の完成形の重さは、体重の2%程度。重さは1.3キロ程です。男性のほうが女性より脳がやや重く、男性で1350グラム~1450グラム程度、女性は1250グラム程度のようです。

そして、人間は140億個の神経細胞のうち、3%ほどしか使わないといわれています。(実はもう少し多く使われているそうです)
頭を使いまくり、天才と呼ばれる人たちでも6,7%ほどと言います。それだけ人間は脳の細胞を使わず損しているわけですね。
残りの90%以上の神経細胞は寝たままです。

 上の文章はインターネットから資料を参照しました。

 さて、何を言いたいかといえば、知的障害者と呼ばれている人たちの、能力開発についてです。私は今年このことに真剣に取り組んでみたいと思っています。
 先日ですが、わが法人の「であいの家あうん」で書き初め会を行いました。参加メンバーの中で、明らかに私が思っていた以上の力を発揮している場面に出くわしました。
 漢字を書けないと思っていた方が、「母」とか、「父」「兄」などと、たどたどしくはあっても書けたのです。


 毎回参加しているメンバーさんたちも、たった一年で自信たっぷりに目の前の上に自分の気持ちをスラスラと書いているさまを見て驚きました。

 環境を整えてあげられれば、一人ひとりの潜在能力はまだまだたくさん埋もれていると思えるのです。それを引き出す側の人間としてはなんだか遺跡や金鉱などを発掘する山師のようにも思えてきて樂しい気分です。

ETUDE「蔵」

2013-01-09 06:50:50 | 創作(etude)
白い漆喰で
外壁を塗られた
美しい蔵
堅牢な
造りは
かつては
家々の
歴史と財産を
守ってきた
ばかりではなく
米や稗や粟
味噌や大豆
来年の食糧の
備蓄庫でもあった
いま蔵が
その役割を
静かに
終えようとしている
家長制度が
崩壊し
少子化が
絶滅危惧種へと
ひた走るかのように
限界集落が
広がる
この日本の
農村部から
灯りが
次第に
消えようとしている
この日本
寂しい日本

真冬日続く

2013-01-08 06:50:47 | つれづれなるままに
1月8日(火)

 昨日から仕事始めで、増築等の工事も再開されている。3月末までに竣工しないと補助金は交付されない。真冬日の続く津軽の工事は、厳しい雪との戦いである。
 年頭挨拶に見えた工事監理者Aさんは、「必ず仕上げます」と意気込みを聞かせてくれ、少し安心している自分がいる。

 運営会議メンバーと、今後のケアホームの展望について少し話す。
 わが法人の住宅整備の基本的なコンセプトは、入居者を決めて後、個別ニーズに添って建物設計、整備をすることである。法人第一号のケアホームは新築ではないが、改修整備に入るまでには3年がかりであった。財団からの補助金と法人の負担金は合計1千5百万円近くあった。
 先日保護者の方と話す機会があったが、入居を決断されるまでにはジレンマが多いようだ。今までの人生の中で自分の分身と付き合ってきて、ある日突然他人に委任するということは、それ相応の覚悟がいる。自分たち両親の苦労の結晶が、簡単に他人が理解できるはずがないという思いがある。あるいは自分たち両親の暮らしは本当に限界に来たのかという、親としての養育力への問いでもあるかも知れない。
 私は自分の娘達を入居されるポイントは、次のことが基本にあるべきだと思っている。
 1.自宅からケアホームに入居することで、生活の質が向上すること。
 2.同じく入居することで、例えば入浴の回数が増えるとか、自宅ではできない本人のニーズを充足してくれる保障があること。
 3.法人をはじめスタッフとの信頼関係が構築されていること。

 新年度に向かって、保護者との話し合いが必要になってきているのかもしれない。
 

 

 

年賀状について

2013-01-07 06:43:04 | つれづれなるままに
 「年賀状」の元旦到着のためには、年末25日までに投函しないと間に合わないという。結局暮れもなんだかんだと用があって、結局大晦日にほぼ書き終えて残りを投函した。そして新年を迎えて、この年賀状について思うことがある。それは出す側ともらう側の「人間関係性」の話である。
 そもそも人間関係の中で見ると、遠方にいることを除けば、以前はともかく現在までほとんどというか全く関わりを持つことすらない場合である。
 年賀状が機械で印刷されるとか、印刷屋で印刷したもの、宛名を手書きのものなどがある。若い人からは携帯電話での「明けオメ」もある。
 一言でも手書きが添えられていると、ああまだこの方は私と関わりを持っても良いと思っていてくださるのだなと思うことができる。あるいは最近はデジカメとかパソコンの普及により、家族の近況を写真で伝えてくださる方もある。私も最近風景写真や、家族の写真を印刷して送ることがある。これはこれで、ああ元気なんだなって感じることができるのである。
 しかしどこを見てもなんにも添え書きがないと、本当に味気ない。むしろ不安にさえなる。私が年賀状を出さなければ、この方はほっと安心するのかもしれないなどと妄想的になっている自分がいる。

 そもそも年賀状は何のためにあるのかを、もう一度考え直したほうが良いのかもしれないと思っている。
 年賀状の元々は年頭挨拶を訪問して行う代わりに、年賀状を出すものであったのではないだろうか。だとすれば、挨拶には伺う関係性ではないという方に出す必要もないのかもしれないと思う。いつも会える関係、例えば職場内の上司部下の関係とか、近所関係では儀礼廃止を唱えて久しい。

 そして何よりも年賀状が元旦配達されることの重要性が、果たしてどこにあるのかということを私は言いたいのである。
 元旦配達に価値があるようなPR方法は、「年末○○までに出せ」という強迫観念を抱かせることにつながっている。
 一夜明けて新たな年を迎え、「自分や家族が健康で新年を迎えられたことへの感謝」と、だから「今年もお付き合いをよろしくお願いします」という思いと「健康で幸せな一年をお過ごしください」・・・という願いをとどけることこそが年賀状の大切なことではないのはないだろうか。
 
 多様な価値観があっていい。私の友人知人の中には、あえて年賀はがきを使わないで挨拶してくる方や、クリスマスに挨拶をしてくる方もいる。年をとったからこれでおしまいと挨拶をしてくる方もいる。
 年賀に限らずほんとうにこころを寄せている方同士では、旅先や絵を添えたはがきなどをくださる方もいる。心が近いと感じる一瞬でもある。
 
 「年賀状」について果たして皆さんは、どんな思いをお持ちであろうか?
 

小寒

2013-01-05 12:37:18 | つれづれなるままに
1月5日(土)

 昨日までのシバレが嘘のように、今日は日中は日差しがあり屋根雪がザーッという音を立てて落ちています。屋根雪が家の周辺に落ちて、今ではこの高さの壁です。

 今日は小寒です。夕方からまた降るらしいです。 

 昨日は久しぶりに車庫の屋根に上がって、雪下ろしをしました。今朝は少し腕や腰が痛みます。

 玄関先のシャコバサボテン(スクルンベルゲラ・カウトスキイー(Schlumbergera kautskyi)と呼ばれる)が満開になりました。こちらの「シャコ」はガレージの車庫ではなく、海のシャコに似た形をした葉っぱのサボテンです。やはり家の中は暖かいらしいです。ここだけが春のように彩りがあります。

 まだまだ春は遠いようです。でも私は厳しい寒さの凛とした、この時期が好きです。

 

NHKラジオ深夜便「音楽のバリアフリーをめざして」

2013-01-05 07:43:02 | つれづれなるままに
1月5日(土)

 NHKラジオ深夜便の「明日へのことば」に、<音楽のバリアフリーをめざして>と題し、日本ヘルマンハープ協会の梶原千沙都理事長が出演しました。 ヘルマンハープの演奏とともに、ヘルマンハープのご紹介や梶原理事長のヘルマンハープとの出会いなどのお話しを聞きました。

 

 最初に音楽のバリアフリーとは何かということに興味を抱いて聞きました。そして梶原さんご自身も、お子さんの脳腫瘍手術をしたり、ご家族の介護などが重なって大変な時代もあったそうです。
 梶原さんがドイツを訪問した折に、この楽器の考案者と出会われたそうです。

 ヘルマンハープの考案者、ヘルマン・フェー氏(1935年生まれ)にはダウン症を持ってこの世に生まれたアンドレアスさんという息子さんがおられます。氏はアンドレアスさんが、その才能を高めていくことのできる楽器の考案に着手し、1987年ハープが完成したそうです。

 ヘルマンハープは折れ線グラフのように線がつながって楽譜を構成していて、弦の両側の下にはさんで演奏する方法だそうです。右側の線がリードで、左側の線が伴奏用だということでした。
 この楽譜は、五線譜が読めなくてもメロディーを弾ける工夫がされており、障がい者や高齢者など誰でもすぐに演奏が可能なところが、まさに音楽のバリアフリーということのようでした。ぜひ一度私たちの青年たちにも導入して、試してみたいと思いました。
 大きな会場で演奏するための楽器として作られたのではなく、家庭の一室で演奏するように考案されたとのことで、音も大きすぎず弦楽器の音色そのもので耳障りが良い楽器でした。ちょっとチターという音色に近いのかな?
 梶原さんの演奏を聞きましたが、出会って10年目というようにはとっても思えないほどの見事な演奏ぶりに感動しました。
 楽器も思ったほど高くなさそうなので、ことしはこの楽器を取り寄せて挑戦してみようと思いました。

謹賀新年 2013年

2013-01-02 13:55:50 | つれづれなるままに
明けましておめでとうございます。

 何やら昨年が地球の終わりのように騒いだ中国や、マヤ暦のメキシコでの騒ぎが一体何だったのかと思わされる平穏な新年の始まりです。
 そういう意味ではこれだけ科学や文明が進歩したとはいえ、結局は確かな明日というものはありえないのだという感覚の中にいます。

 一日一日あることをしっかりと感謝しながら、生きていることを実感することが今の自分には最高の勤めなのかもしれません。
 「ニーチェの言葉」(超釈)の中に「始めるから始まる」がありました。
 「すべて、初めは危険だ。しかし、とにかく始めなければ始まらない。」
 私達の法人がこれまでとってきた立ち位置は、まさにこれだと思います。
 「本当の防御は前に出ること」という言葉があります。「一歩前に」は私の座右銘のようにも思えます。今年もプラス思考で日々を過ごしたいと思います。
 
 年賀状遅くなってすみません!
 輝ける2013年にしたいものです。