7月20日(水)弘前市は晴れだったが高速道路で岩手に入ると、車窓から見える空は雲が重たそうに重なりバスのフロントガラスに雨が当たり始めていた。
私の野田村訪問は久しぶりのことで、7月3日以来だから17日ぶりになる。この日の参加者は27名ほどで、学生も4,5人だった。野田村の社協スタッフに聞くと、この日の野田村のボランティア入り込み数は50名程度というから、チームオール弘前は多い方になる。事務局弘大も李先生をはじめ、山口、作道、平野各先生の参加で賑やかで心強い。
現地入りしてこの日の活動を指示されたが、4名は桜庭邸の庭の作業で、残りの20名ほどは海沿いの国道から米田地区入口付近の道路側溝の泥上げだった。この時期にしては肌寒く、風も強くて作業は思いの外はかどっていた。この場所は以前米田地区の仮設住宅に来たことがあったので知っている。印象的だったのは、三陸鉄道が海沿いから山手に入ってトンネルがちょうど松林の下を通っていたことであり、そこはまた津波の為に全く機能していない場所でもある。今は辛うじて米田地区へ入る生活道路をデイサービスや宅配便などの車が日がな通過して忙しい。
男性も女性も老いも若きも、皆でスコップやツルハシを持っての泥上げ作業が始まった。土のうの袋は小さめの袋とはいえ、この泥の中身は半端なものではなく、山の斜面から流れ込んだ粘土質の土と大きな石塊、砂利が混ざって始末に終えないほど重い。社協スタッフが途中から軽トラックを持参して、土のうを積んで運搬作業に参加した。一人黙々と土のうを積もうとしているので、見かねて皆で作業に取り込んで、トラックにも李先生、平野先生、学生も同乗して運搬した。
午前中の作業を11:30まで行って、またバスの迎えを受けて門前地区から少し入り込んだの一画の古民家「搗き餅の館」?に案内された。ここでは3度目だという話であったが、私は16回目で初めての体験だった。
李先生の説明では、ボランティアへのお礼にと米田地区住民から昼食を御馳走になったことがあったが、少しでも野田村に経済的な支援を行えないかという発案で、弘大後援会の資金を活用申請して、この家で弁当を作っていただいて支払う形にしたという。参加者がそれを、ありがたく利用させていただくことになったというのが事の経過らしい。
およそ30人分の弁当が準備され、一時の賑やかな笑いの中で温かなお茶と弁当をごちそうになった。
テーブルのセットから、後片付けも皆で手伝って昼食会が終えた。小豆餅や、さらには野田豆腐の「ゆかべ」と呼ばれる「寄せ豆腐」をごちそうになった。
いつか野田村のにがりを使ったこの味わい豊かな「ゆかべ」を、我が法人でも開発してみたいと思っている。
午後からまた同じ場所での作業が始まり、いつも思うことではあるが皆のチームワークは大したものだと思う。「阿吽の呼吸」というような教えてもできない相互の連携協力と、それぞれの持分の発揮がかなり効果として感じられるようになっていくのだ。 午後2時を過ぎた頃から小雨が降り始め、作業をさらに加速させて予定の場所までの約50メートルほどの側溝がみごと開通した。
この日のバスの中での打合せでは、現地は雨なので作業はないかも・・・・だったことを考えれば、予定よりも長時間作業を行った計算にはなる。それ以上にこの土のう運びの半端じゃない重さに、メンバーの足腰の体力も限界だったのかも知れない。怪我もなく終えてほっとしたというところだろう。
帰りの車中で李先生を始めとする事務局からの連絡事項・説明がなされた。次第に皆さんは疲労で舟漕ぎがあちこちで始まっていった。
弘前市内は「弘高ねぷた」の運行日ということで、人々の場所取りがあちこちで始まっていた。弘前もそろそろねぷたの時期で、野田村からも約40名ほどが招待されると説明を受けている。弘大のねぷた運行の中に、我々「チームオール弘前」の黄緑のユニフォーム姿と野田村のマスコット「のんちゃん人形」がネプタとなって参加予定とも聞いている。初日は参加可能か・・・。
私の野田村訪問は久しぶりのことで、7月3日以来だから17日ぶりになる。この日の参加者は27名ほどで、学生も4,5人だった。野田村の社協スタッフに聞くと、この日の野田村のボランティア入り込み数は50名程度というから、チームオール弘前は多い方になる。事務局弘大も李先生をはじめ、山口、作道、平野各先生の参加で賑やかで心強い。
現地入りしてこの日の活動を指示されたが、4名は桜庭邸の庭の作業で、残りの20名ほどは海沿いの国道から米田地区入口付近の道路側溝の泥上げだった。この時期にしては肌寒く、風も強くて作業は思いの外はかどっていた。この場所は以前米田地区の仮設住宅に来たことがあったので知っている。印象的だったのは、三陸鉄道が海沿いから山手に入ってトンネルがちょうど松林の下を通っていたことであり、そこはまた津波の為に全く機能していない場所でもある。今は辛うじて米田地区へ入る生活道路をデイサービスや宅配便などの車が日がな通過して忙しい。
男性も女性も老いも若きも、皆でスコップやツルハシを持っての泥上げ作業が始まった。土のうの袋は小さめの袋とはいえ、この泥の中身は半端なものではなく、山の斜面から流れ込んだ粘土質の土と大きな石塊、砂利が混ざって始末に終えないほど重い。社協スタッフが途中から軽トラックを持参して、土のうを積んで運搬作業に参加した。一人黙々と土のうを積もうとしているので、見かねて皆で作業に取り込んで、トラックにも李先生、平野先生、学生も同乗して運搬した。
午前中の作業を11:30まで行って、またバスの迎えを受けて門前地区から少し入り込んだの一画の古民家「搗き餅の館」?に案内された。ここでは3度目だという話であったが、私は16回目で初めての体験だった。
李先生の説明では、ボランティアへのお礼にと米田地区住民から昼食を御馳走になったことがあったが、少しでも野田村に経済的な支援を行えないかという発案で、弘大後援会の資金を活用申請して、この家で弁当を作っていただいて支払う形にしたという。参加者がそれを、ありがたく利用させていただくことになったというのが事の経過らしい。
およそ30人分の弁当が準備され、一時の賑やかな笑いの中で温かなお茶と弁当をごちそうになった。
テーブルのセットから、後片付けも皆で手伝って昼食会が終えた。小豆餅や、さらには野田豆腐の「ゆかべ」と呼ばれる「寄せ豆腐」をごちそうになった。
いつか野田村のにがりを使ったこの味わい豊かな「ゆかべ」を、我が法人でも開発してみたいと思っている。
午後からまた同じ場所での作業が始まり、いつも思うことではあるが皆のチームワークは大したものだと思う。「阿吽の呼吸」というような教えてもできない相互の連携協力と、それぞれの持分の発揮がかなり効果として感じられるようになっていくのだ。 午後2時を過ぎた頃から小雨が降り始め、作業をさらに加速させて予定の場所までの約50メートルほどの側溝がみごと開通した。
この日のバスの中での打合せでは、現地は雨なので作業はないかも・・・・だったことを考えれば、予定よりも長時間作業を行った計算にはなる。それ以上にこの土のう運びの半端じゃない重さに、メンバーの足腰の体力も限界だったのかも知れない。怪我もなく終えてほっとしたというところだろう。
帰りの車中で李先生を始めとする事務局からの連絡事項・説明がなされた。次第に皆さんは疲労で舟漕ぎがあちこちで始まっていった。
弘前市内は「弘高ねぷた」の運行日ということで、人々の場所取りがあちこちで始まっていた。弘前もそろそろねぷたの時期で、野田村からも約40名ほどが招待されると説明を受けている。弘大のねぷた運行の中に、我々「チームオール弘前」の黄緑のユニフォーム姿と野田村のマスコット「のんちゃん人形」がネプタとなって参加予定とも聞いている。初日は参加可能か・・・。