夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

一行詩/ガレキの村

2011-07-04 09:22:34 | 創作(etude)

・親切とお節介のあやふや野田村にヤマセ吹く朝も昼も


・震災復興の明日が繋がらない村人はうつろな目で暮らす


・側溝の泥を上げたからって暮らしが始まるかもわからぬが掘る


・結局は一人のことがしあわせの基準みんなちがって当たり前の朝


・そんなに心配なら休まずにつきあえボランティアはやる気が一番

No.15 野田村の日曜日

2011-07-04 05:37:36 | 東日本大震災
 野田村の役場前のボランティア駐車場にはバスが3台停車していた。盛岡市や葛巻町という岩手県と、北海道苫小牧からの団体での災害ボランティア一行である。そこに我々のグループの中型バスが加わった。

 この日は日曜日ということもあってか、その他の休日ボランティアの入り込みも多く、役場前は人にあふれていた。
 災害ボランティアセンターには弘前市の社協職員が対応していて、きょうは「側溝の泥上げ」であるという。Yさんの話によれば、昨日引っ越しが行われて、仮設住宅に殆どの人が入居が終えたらしい。これからは避難所としてのニーズよりも、仮設住宅という個々の生活がスタートし、ニーズも個別に分散することになりそうだ。
 何よりも野田村の復興はスピードアップして、7月後半から8月いっぱいは社協も土日はお休みになるという。平日はボランティアの数が少ないのだから、土日対応は継続して欲しいのだが、どうもそうはいかないらしい。それは野田村の社協は人員が少なく、他の自治体の社協職員が交代で応援している現状があるからだろう。

 私たちのこの日の作業場所は役場の正面を流れる川を超えた場所の側溝の泥上げであった。道路の両サイドにある側溝は、津波で運ばれたガレキと泥や砂が埋まっている。
 
 曇り空が続いているのが何よりの救いで、それでも時々顔を出す太陽で、汗がふき出してくる。30分作業をして10分の休憩の繰り返しで、この日は早めに休憩をパターン化していた。
 初めての参加者は今回半数の10名で、残りは複数回の参加者である。我が法人からは9名、いわき・ふれあいVが4名、一般参加者は9名でうち他法人職員は5名である。

 隣の敷地では盛岡市から来たグループが、同じ作業に汗していた。
 午前中の作業を11:30分でいったん終えてマイクロバスに戻って、昼食会場としてこの日は道の駅に向かった。
 二階のレストランは結構価格も安く設定されていて、麺類(500円台から)、ご飯物、海鮮丼でさえ1,000円と超割安である。私たちはおにぎりなどを持ち込んでラーメン、中華ざるなどを食べた。
 この他道の駅は野田村の特産である塩、塩を使ったラーメンや、キャラメルなどの加工品、海産物、魚なども販売されていて、国道45号線沿いの道の駅は結構活気にあふれていた。少しでも現地でお金を使うことすらも、復興の一助となるのだと参加者も買い物袋を手にバスに戻ってきた。
 午後1時にまた作業現場に戻って、午前中の続きを行った。

 さすがに午後からは、参加メンバーの口数は少なくなって行く。そしてなにより怖いのは、疲れて来た時に起きる事故である。寡黙となっている集団は、黙々と作業に集中しすぎている。一旦大声で作業を止めて、注意を喚起し一呼吸を入れてもらった。
 午前中に大きい土嚢袋10袋を使いきり、午後も土嚢袋を追加した。
 午後2時30分から後片付けを進めてもらって、またボランティアセンター脇に集合し、この日使用した一輪車やスコップを洗浄する作業に移っている。他の団体も続々と集まってきて、少ない蛇口に人が群がっている。

 
 しかし救いは沢山のボランティアがその蛇口を奪い合うどころか、皆で協力しながら道具の洗浄を進める雰囲気が出来上がって、なんとも皆さんの表情も優しいのだった。

 お互いに感謝しながら、労をいたわり合ってそれぞれのバスに乗り込んでいく。別れ際にはバスの中から「お疲れさんでした」と手を振り合ってまたそれぞれの生活の場に戻って行った。
 それにしても、来月からのこの土日対応はどうなるのだろうか・・・。