夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

久しぶりの旅を企画中・・・

2011-07-18 16:19:21 | 旅たび食べある記
8月上旬に旅行を計画し始めています。今回の目的地は北海道です。
 北海道に的を絞っていながらも、北海道も広いなあ!と改めて思います。まだ訪れていない場所で、行ってみたいところ。今回はかなり遠方の稚内から利尻・礼文島はどうかなと思っています。
 利尻富士を一度拝みたいと思っていました。家内は一度学生時代に行ったことがあるらしいです。
 企画のキーワードは、フェリーに乗ること。カヤックかカヌーに乗ること。出来ればラフティングもやってみたいのですが、相棒が無理かも・・・。日本列島の最北端に足を延ばすこと。久しぶりにフリーな気分に浸ること。

 

「MoMocafe 」オープン!おめでとう!!

2011-07-18 07:07:37 | 旅たび食べある記
 7月15日(金)

 われらが元「ゆいまある」スタッフの通称「白雪姫」福田智恵子さんが、夢だった焼き菓子とカフェインなしのチコリコーヒーのお店「MoMocafe」を市内に開店しました。
小さなお店でしたが、とてもリラックスできそうなお店でした。


 以前お仲間だった花田さんと一緒に、奮闘している姿が印象的でした。


 チャレンジする精神を、彼女がまた一つ教えてくれました。何でも道を開こうと努力することは、とっても大事で貴重な生き方だと思います。みんなで応援して行きましょう!!
定休日は毎週水曜日。弘前市年金事務所の近くです。11:00~18:00
弘前市城東5-13-1   電話0172-26-2046
URL: http://momo-cafe.info mail shop@momo-cafe.info


原点

2011-07-16 06:36:10 | チームオール弘前
 震災が起きてから4ヶ月が経ち、我々の「チームオール弘前」の活動分岐点が今そこに見えてきた。野田村の復興は大きく前進し、ボランティアニーズも変わろうとしている。
 青森県社協も8月でその役割が終了したと判断して、引き上げるという。野田村の災害ボランティアセンターも、7月後半から土日を休日とし、お盆休みなども含めて通常の生活に戻ってきたと判断しているのだろうか。弘前市社協から弘前市のボランティアに対するクレームが突きつけられているようだ。それは社協を通さずに、独断で活動していることによる風評被害。ボランティアが野田村の人々から受ける昼食等接待への批判。今回のボランティア派遣は災害に対する派遣なのだから、農作業などを支援するのは約束違反・・・。何か事故があっても、災害保険では対応できない。何よりも社協を通さずに個人住宅との支援の約束をすることは、社協の活動に悪影響を及ぼすという。具体的には社協の行う予定が乱されるということだろうか。ボランティア活動は、相手を主体にするべきであり、こちらから提案しすぎると押し付けになる危険がある。
 自分が良かれと思ってやったことが本当に相手が望んでいたことなのか、自己満足になっていないか・・・。

 これらの課題を踏まえて弘大の李先生から、21日(木)AM9:00からの弘前市役所での話し合いに参加して欲しいという要請が来た。

 被災地野田村の復興とは、そもそもどういう状態を指していたのだろうか?災害ボランティアの為すべきミッション(使命)とは、どこまでだったのだろうか?弘前市がこれまでに実施してきたこと総てを見れば、災害ボランティアの派遣の条件である、定期便を毎週出すこと。野田村の人々を弘前市に招き、桜祭りや花火大会などを通じて心を慰めてもらうことなどを行って来た。野田村の人々との交流を大切にしようとしたのは弘前市も同じなのではないか。
 親切の押し売りのように市社協が言うのは、そもそも実情を知らなすぎる気がする。野田村の人々を勇気づけ、やる気を起こさせる活動をすること。そのためには弘前市と野田村の人的な交流によって「顔の見える信頼関係」構築を目指したのではなかったか。
 阪神淡路大震災ではそのニーズが消えて行く中で、自然とボランティアは去っていったと聞いている。しかし弘大の李先生をはじめとするメンバーは、野田村が元の生活に戻り、そこで弘前市と野田村の住民同士の交流がまだ続いている姿をイメージしていたように思う。課題が消えた中で対等な関係で、より強い絆が結べることを夢見たのだ。野田村の伝統行事や文化、そして砂祭りなどを共に楽しみ、理解する。弘前の地を理解していただき、また弘前市をより身近な存在としていつでも訪ねて欲しい。そういう関係構築が私たちのボランティア活動のエネルギーとして共有したことではなかったか。弘前市の観光も、まさにそこにおもてなしの思いがつながってくるのではないだろうか。
 何とか元の生活ができるようになるためには、ガレキ撤去だけでは足りないのではないだろうか。そのために人間関係がそこに生まれ、被災者から継続しての依頼がなされたのだ。普通であれば頼めない作業を、弘前のボランティアだからこそ依頼してくれたのではないかと思う。ガレキ撤去だけが災害支援ではなく、津波の汚泥がその土地の奥深くに塩害などをもたらしている。その回復をさせるための作業が、はたして農業の範疇に入るのだろうか。
 弘前市のバスに乗る以上は、市社協の言う事を聞けと言わんばかりに聞こえるのは私だけだろうか。
 環境ボランティアを含め、ボランティア活動は必ずしも社協を介さない形で存在している。「迷惑ボランティア」がそこに紛れ込んでいることも事実かもしれないが、だからといって総てを管理し制限しようという発想自体がボランティアの自己責任、自己完結を日頃から言っていることを考えればおかしい気がする。
 そもそも現地でのコーディネートをする力そのものの社協の弱さが、今日の様々な状況を招いてきたのではないだろうか。弘大を中心とするボランティア事務局が、その不足しているコーディネーター役を買ってくれたのだと思う。
 青森県社協や弘前市をはじめとする社協の派遣職員がこれまでご苦労されていることは理解できるが、ボランティアとの意思疎通が必ずしもうまく図られてこなかったのではないだろうか。
 ボランティアの側にも、自らを高めたいという自発性や向上心がある。ボランティアという人や団体を育てるべき役割を持つ社協は、どこに行ってしまったのだろうか?
 やる気を起こさせるという雰囲気に欠けているのが、現状の社協の姿に見えてくる。災い転じて福となすということわざのように、こういう機会にこそ話し合いの大切さがあると思う。一方通行の宣告では、物事は改善しないばかりか悪化するのが目に見えている。この課題はいつか弘前市に戻ってくるのだから、潰すというだけでは今後の弘前市の市民活動の主体性にも悪影響を及ぼす気がしている。
 そしてもう一つの課題は、野田村の人々の善意を、どのようにお受けすれば良いのかということである。私は昼食をおもてなししていただくのは、あまり好まない。むしろ李先生が前から言われているように、野田村の経済的効果の方に重点を置くべきと思う。食事を作っていただけるのであれば、その対価を支払うようにしたらどうだろうか。
 そうすることで、少しでも野田村が活性化すればいいと思う。私の知る範囲では、おもてなしを受けたのは2度だ。そろそろその辺も対応を考えるべきだと思う。
 それにしてももう一つの課題はボランティアの思いとは別に、来月からの土日休止では水曜日の参加者が激減するのを心配する。結果的にバスの定期便利用者が少なければ、バスも休止になる可能性が高まってくるのではないだろうか。
 自力で行けるほどの脚力を持つボランティアが、果たしてどれほどいるのだろうか・・・。野田村の平日のボランティア入込数をみれば歴然としている。

病床の君に捧ぐ

2011-07-16 05:00:35 | 創作(etude)

野の花のように
清らかな
ほほ笑みを
保ち続ける君よ

そのほほ笑みは
哀しみも
苦しみも
混ぜて咲くか

もう一度
地中の毛根を 
訪ねてご覧
土が粗すぎる

硬くなった土を
掘り起こそう
毛根の一条ずつが
栄養を取り戻せるよう

今は待つしかない
蹂躙する汚泥も
源流は変りなく
清らかな一滴を保つ

花は自分で
咲いてこそ花
今はただ
咲く時を待て






「倚(よ)りかからず」茨木のり子

2011-07-14 06:36:22 | 私の本棚
「苦しみの日々 哀しみの日々」

 苦しみの日々
 哀しみの日々
 それはひとを少しは深くするだろう
 わずか五ミリぐらいではあろうけれど
 さなかには心臓も凍結
 息をするのさえ難しいほどだが
 なんとか通り抜けたとき 初めて気づく
 あれは自らを養うに足る時間であったと

 すこしずつ 少しずつ深くなってゆけば
 やがては解るようになるだろう
 人の痛みも 柘榴(ざくろ)のような傷口も
 わかったとてどうなるものでもないけれど

     (わからないよりはいいだろう)
 
 苦しみに負けて
 哀しみにひしがれて
 とげとげのサボテンと化してしまうのは
 ごめんである

 受け止めるしかない
 折々の小さな刺(とげ)や 病でさえも
 はしゃぎや 浮かれのなかには
 自己省察の要素は皆無なのだから



モンゴルのこと

2011-07-11 05:32:57 | 私と福祉とであいの旅
 モンゴルといえば
ユーラシア大陸の内陸部にあり、南側を中国、北側をロシアに囲まれた内陸国。高原の大草原とゴビ砂漠の国として知られる。かつてはチンギスハーンの下、史上世界最大の国家を形成した。交通網は空路と鉄道。鉄道は南の中国と北のロシアをつなぐ。航空路は都市とウランバートルを結ぶが、鋪装された滑走路がない空港もある。道路は未発達で、幹線といっても草原や砂漠の轍。四駆を利用しなければ、陸路の走行は難しい。大草原を騎馬で行き交うのが伝統的遊牧民の交通で、地方ではこうした交通手段に頼らざるを得ないところもある。

国名 モンゴル

正式国名 モンゴル国 Mongolia

国旗 赤は繁栄を表す火を、青は平和と永遠を表す青空を意味する。左側の黄色い模様はソヨンボと呼ばれ国家を象徴し、上から炎、太陽、月、上下の逆三角形が槍、長方形が正直さを表す。その間に繁栄と警戒を示す魚、左右は城塞である。

国歌 モンゴル国歌

面積 約156万4100km2(日本の約4倍) 

人口 約273万5800人(2009年)

首都 ウランバートル Ulaanbaatar

元首 ツァヒア・エルベグドルジ大統領(2011年1月現在)

政体 大統領制、議会制民主主義(一院、複数政党制)

民族構成 ハルハ族(約75%)、カザフ族、ブリヤート族などモンゴル系少数民族

宗教 チベット仏教が浸透している。バヤンウルギーなど西部のカザフ系住民はイスラム教信者。シャーマニズムを信仰する人も多い。

祝日・祭日 公的に祝われる祝祭日は、モンゴル暦で祝われるツァガーン・サル(旧正月)を除き、すべて新暦で祝う。

12月31日~1月1日 新年
2月3日~5日(2011年の場合)※ツァガーン・サル(旧正月)
3月8日 女性の日
6月1日 子供と母の日
7月11日 革命記念日
7月11~13日 ナーダム(ナショナルデイ)
11月26日 独立記念日
12月12日 憲法記念日

※モンゴル暦に基づき毎年日付が変わる。
※ツァガーン・サル(旧正月)の日付は中国などの旧正月とは異なり、モンゴル暦に基づいて毎年チベット仏教の高僧が決定するため、2012年以降の日付は未

 こうして見ればモンゴルのことは何にも知らないんだなと思いました。知っていたことは、首都が「ウランバートル」有名な人はチンギス・ハーン(ジンギスカン)、朝青龍、旭鷲山、白鵬くらい。遊牧民族の使う「ゲル」という簡易式のテント、開高健がモンゴルで2メートルのイトウ釣りをした時のことを、テレビで何度か見たこと。

 島野さんの活動は、首都ウランバートルでダウン症児教育をすること。モンゴルの教員の給料は3,4万円だとか・・・。校長が教員の給料を決める。朝青龍はモンゴルでは資産家で、いずれ遠くない日に大統領になるらしい。彼は日本にもホテルを幾つか持っているなんて知らなかったなあ。それに治安がかなり悪いらしい。一人での夜間外出はとっても危険だとか。スリ、置き引き、日本人だとわかると特に狙われやすい。ハンドバックなんかもビニール製だと、刃物で切られて中身を抜かれる。特に携帯電話が今モンゴルでは一番国民の欲しい物らしくて、旅行者の持っている携帯電話は支払い不要の携帯(プリペイド)なので、いつでも身近に持っていないと危険。トイレや入浴(シャワー)も、ビニールに入れて肌身離さず注意という。
 養護施設に入っている子供たちが大量に今頃になれば脱走して、ストリートチルドレンになっている。土管での生活をしている大人もいる。モンゴルじゃ野菜が怖くて食べられないらしい。野菜を始め食料は、ほとんどが中国製のようで、農薬に何を使っているのかわからないのが不安。いつまでも腐らない野菜とか・・・。とにかく肉食。
 冬はマイナス30℃にもなる寒さ。でもホテルは温かい様子。学校だけは真冬でも28℃もあって、子供たちは汗だくとか。一体どうなってんの?この国は・・・。
 彼女のモンゴル人での習慣上のカルチャーショックは、とにかく約束は信用できないってことらしい。ドタキャンは当たり前で、ホテルなんかもそれは日本のようにキャンセル料も心配ないらしい。
 モンゴルは共産主義から今は資本主義に変わってきているが、景気は悪いらしい。270万人の人口に対し、国土は日本の4倍。かつて遊牧民も、今は首都ウランバートルに集まっていて、その数はかなり減っているらしい。
 とにかくモンゴルは生活が日々不安定で、インターネット環境もとっても悪いとのこと。その日の最初に確認することは、まずはPCが使えるかということから・・・。結構途中で切れたり、入らなかったりは当たり前とか。
 そういう危険な思いをしても、もう一度行きたくなるモンゴルってまた不思議。子供たち特にダウン症児はとっても人懐っこく可愛いらしい。必要とされているということがまず、島野さんの心には強い情熱に変わるのだろうと思いました。
 モンゴル語はわからないけれど、通訳さんがいつも付いて支援してくれるので心配はないという。
 あと3ヶ月(9月から11月)自費でのモンゴル行きが終われば、今度は弘前に移住して過ごすという計画のようでした。
 楽しい3時間があっという間に終了し、お二人とお別れしました。バイラルラー(ありがとう)!