夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

葬儀の途中

2009-07-26 06:21:42 | つれづれなるままに
 おじさん(義母の弟)が家に来て、玄関のチャイムを鳴らした。同じ町会に住んではいるが、年に何回会うだろうか。最近自分が町会役員に渋々なったので、それでも顔合わせだけは遠目にしていることになるのだろう。きょうは同じ葬儀の場に行くので我が家に来たということだろう。青森では葬儀になれば、招待者は取越し法要の後一杯飲むのだ。私ははなから昼の酒は遠慮しようと思っていたので、叔父さんを乗せて式場に向かった。
 会場に向かう途中おじさんが、「最近物忘れをするようになった」とポツリもらした。「忘れたことを思い出せますか?」と尋ねると、「それが思い出せない・・・。」という。「たいしたことでないので、思い出さないのでは?」と私は言うしかなかった。そしておじさんは岩木山の百沢水害を思い出したのか「ちょうどきょうみたいな蒸し暑い日に、土石流であの山が牙をむいた。遠目にも沢に水が流れているのがわかった。沢が白くなるからな。」そう言った。
 ぼくは初めて弘前を訪問したのが、あの昭和50年の夏だった。ねぷたを見に来て、3日目だったろうか?弘前土手町蓬莱橋そばにあった今は無き「珈琲野郎」で、コーヒーを飲んでいた時だった。きょうと同じような蒸し暑い日、突然大雨になった。雨はやまなかったし、その降り方は尋常ではなかった。雨は降り続けて、結局この夜のねぷたは中止となり、更に翌朝サイレンが早朝から鳴り響いた。川が氾濫し、更に驚くことに百沢で土石流災害が起きたというニュースがテレビで繰り返し伝えられていた。亡義父が見に行こうといって、私を車に伴い百沢の岩木山神社付近まで車を近づけたが、惨憺たる有様でその先はもう土石流が流れた後の土砂や大石が転がっていて進めなかった。結局21名ほどの方が亡くなられたのであった。後で知ったことだが、ねぷたを見に来た観光客が市内のホテルが満室で、わざわざ百沢の旅館に泊まって、この水害で亡くなったという。
 そんなことを叔父さんとの会話で思い出していた。
 それにしても、ここ数日梅雨本番という感じで、すごく蒸し暑さが戻ってきている。きょうはあうんの町会のお祭りがあり、メンバーさんのアトラクション披露もあるのだが、この雨ではかわいそうな感じだ。うまく行けばいいのにと思いつつ、僕は式場におじさんと入った。

通夜に参列

2009-07-25 07:38:28 | つれづれなるままに
 昨夜は親戚のおじいさんがなくなって、通夜に家内と二人参列した。満90歳だから大往生なのだろう。悲しみに暮れるという雰囲気ではなく、生きた証がそこにあった。約9年間は最後の闘病生活である。奥さんは数年前に他界していたから、長生きの男の寂しさがそこにある気がする。
 青森に来た直後にこのおじいさんの案内で、白神の山に分け入ってナメコをたくさん取った記憶は未だに鮮明に残っている。やさしく、そして面倒見の良いおじいさんだった。ご冥福を祈る。
 きょうは11時からの葬儀にも参列だ。

別れの清水汲み

2009-07-24 04:24:44 | つれづれなるままに
 7月23日(木)曇りのち晴れ 27.5℃

 娘たちを乗せたままで私は久しぶりに、岩木川沿いのニッカウヰスキー工場裏手の玉田酒造の井戸水を汲みに来た。この日の朝のバイパスは渋滞していた。岩木川はこの数日降り続いた大雨の影響もあって水量も多く、とても汚く濁っていた。岩木川の上流のダムが許容量を超え、放水しているのだろう。岩木山はきょうも下半分程度しか見えない。
 水汲み場には車が3台停車され、3人の年配の男女が水を汲むために番を待っていた。私の顔を知っている女性なのか「ゆいまあるの方ですね?どうぞ先に汲んで下さい」と番を譲ってくれた。井戸水は太いホースからゴーゴーと流れ出ていたので、あっという間に私の水入れはいっぱいになった。
 きょうで会うのが最後の韓国留学生ミンジさんと、できれば美味しいコーヒーを飲みたいと思っていた。あうんに帰る前にパン工房ゆいまあるに立ち寄り、7月末までは試験があるというミンジさんに食パンを依頼した。
 あうんに着くと、玄関先でミンジさんが夏休みの子どもたちと私を待つかのように立っていた。
 「おはようございます。きょうで最後ですね。」と言うと、「ありがとうございました」と彼女は挨拶を返してくれた。
 私はその足で、彼女の送別餅つき会の写真を現像しに写真屋に車を走らせた。みんながそろってあうん正面玄関で映した集合写真とスナップ写真を、彼女に記念として写真立てに入れて贈った。
 夏休み中の子どもたちは、皆彼女が大好きだ。ミンジさんの腕を引き寄せて、自分と遊ぼうと引っ張り合うくらいだ。
 午後はブルーベリー畑で、初めての販売用の果実の摘み取り作業をメンバーさんに指示した。午後からの日差しは思ったよりも強く、日差しが強かった。そしてブルーベリーの果実は、この強い日差しを受けて熟しているのかどうかがわかりにくかった。
 それでも小一時間で3kg程度を収穫して、あうんへ戻った。ブルーベリー祭りに参加できなかったミンジさんにも試食してもらった。
 ミンジさんが「成田さんの一番の記憶に残っていることは、宋さんとあうんで一緒にお酒を飲んだシーンです。二人の楽しそうにお酒を酌み交わしている姿はとても外国人同士に見えませんでした。日本と韓国がこんなに親しく飲んでいる姿を忘れません」そう印象を語ってくれた。
 やがて午後5時30分、ミンジさんとの本当のお別れの時間になった。残っていたスタッフが玄関にそろい、ミンジさんと握手を交わした。ミンジさんの握手は右手の肘に左手を添える韓国式の畏敬の挨拶だ。
 ミンジさんは8月上旬には青森空港から帰国するが、その正確な日は教えないと言う。「皆さんが見送りに来ると、本当になみだがでてしまうから」と・・・。
スタッフのM女はもうボロボロと涙を流していた。彼女があうんとミンジさんのアパートの送迎のほとんどを担ってくれた。
 こうしてミンジさんの姿は車に消えていった。彼女の代わりの韓国留学生・金さんが来月からまたミンジさんの代わりに来てくれる。今度は金さんの韓国語教室が始まるのだ。みんなでハングル語を学習して、永劫に韓国とのフレンドシップを継続したいと思っている。
 

ミンジさんとの別れ

2009-07-23 08:11:51 | 私と福祉とであいの旅
 きょう(23日)は韓国の留学生で、これまでとても世話になったミンジさんのあうん最後の日だ。先週あうんでは送別会を行っているものの、今日が最後と思うとなんだか切ない。深い心の中が締め付けられる。スタッフのMさんは先週涙をこぼしていたが、ぼくは今その心境だ。韓国にもこんなに菩薩のような人がいるなんて思わなかった。そして昨年11月からのミンジさんとの思い出がふつふつと湧き上がる。純粋なそして清らかな心を持つミンジさんが、あうんのメンバーさん、特に重症の利用者に注いでくれた愛情を思うとき感謝と敬愛がそこにある。
 別れるということは現実のことだが、邂逅という幸運を私はいただいたことになる。再会という喜びをまた私は求めたい。ミンジさんのこれからの韓国での活躍と幸せを祈るばかりである。

 別れゆくきみの黒髪見送りぬ燕と共にまためぐり来て

皆既日食

2009-07-23 06:06:53 | つれづれなるままに
 「決定的な瞬間」に立ち会うことが、人生の中ではままある。しかし、その時自分は呆然とそれを見ているだけだったりする。「新潟地震」あの時ぼくは中学生だった。突然の地震は教室の机をなぎ倒し、ぼくは何もできず呆然としているだけだった。ふと体育館を教室から見ていると、体育館の壁に亀裂が走った。

 昨日は46年ぶりという「皆既日食」の瞬間があった。午前11時ごろ、空は暗かった。雨空が一転明るくなったかと思って空を見上げたら、その雲の間から右上半分近くが欠けた太陽が数秒間見えた。ちょうどその時。ぼくは原ヶ平農場でゴーカート型の草刈りの機械を折からの雨のために、柔らかくなっている土の中に車輪をめてにっちもさっちも行かなくなっていた。
 こんなときは呆然としているのも悪くないと思った。ぼくは46年前11歳。小学校5年生だっただろうか。今度という機会は恐らくないとすれば、すごい瞬間なんだろうと思う。
 スタッフの一人にヘルプの電話をして、車で引いてもらってようやく脱出できた。誰かの手助けが啼ければ生きていけない、それが自分なのだ。
 
 ぼくの後半の人生を、亡父はどのように見ていてくれるのだろうか・・・。

肥沃な畑

2009-07-21 15:03:57 | 原ヶ平農場
 原ヶ平農場は昨日までの雨で、かなりぬかるんでいる場所もあった。その分草は勢いが増し、また草刈りのタイミングとなってきている。ハーブもまた元気が良くて、写真のコモンマロウは環境条件があったのかピンクの花を次々に増やしている。和名で薄紅葵とも呼ばれる花らしい。この花をティに利用するのだが、レモンを入れると色が薄いピンクに変わるのだという。ティは鎮静効果や気管支炎に効能があるので、風邪気味の時に呑むと良いと書かれている。少し粘りけのある若い葉や茎はゆでてバター炒め。もしくは天ぷらにするなどがよいとされる。
 たった一日畑に行かないだけで、きゅうりやズッキーニは大きくなっている。ピーマン、ナス、ツルムラサキなど手かごにそれぞれいっぱいとれて、メンバーさんも満足そうでした。
 路地物トマトはこれからの野菜で、今少しずつ赤みが差してきています。カボチャも今勢いよく根を張って、今年は結構良いサイズまでふくらんできました。
 先日トウモロコシが何者かにやられ、テグスを張ったことを紹介しました。でも今日行ったところ、やっぱり次々とやられています。もう半ば諦め気味ですが、来年トウモロコシはどうしようかと考えあぐねています。
 マリーゴールドが虫を寄せ付けないというのでトマトやナスの周辺に植えたところ、すごい勢いで背が伸び咲き始めています。この土地の熟成度がよくわかります。マリーゴールドの黄色が輝いて見えます。

ブルーベリー祭り本番

2009-07-21 06:15:31 | ブルーベリー畑
 岩木山は雲が中腹から上半分を隠していた。空全体にはゴジラやガメラの出てくる映画のような黒くて重たい雲が流れていた。それでも時々日差しはあって、その時だけは蒸し暑さが空気全体を包んでいた。
 きょう7月20日は海の日で祝日になっているが、あうんやゆいまある利用者はブルーベリー祭りに参加するためにいつもと同じ。ブルーベリー畑はあうんから車で5分程度のところの平地にあり、比較的近い感覚がある。水田の稲穂はいま20センチくらいにまで成長し、緑が一層濃くなって美しい。
 会場には昨日からすでに主だった備品が据えられている。小一時間で受け入れ準備も終え、私はブルーベリーの様子を見回った。早成種のブルーベリーは120本で、ほぼ7割がたの仕上がりだった。何とか間にあったというところだろうか。
 10時を回った頃参加者の車が会場に詰め掛けた。そして試食会。結構美味しいと言って試食をしてくれおおむね好評である。それにブルーベリーは初めて食べると言う人も結構居た。しょうがいの程度の重たい子どもたちも車椅子やバギーでの参加。口に入れてもらって、おいしそうに食べてくれていた。
 次のプログラムはこの祭りのメインイベントと言ってよいのだろうか、「流しそうめん」の開始。みんなが集まってのそうめん流しは、お祭りの醍醐味が感じられる。井戸水を竹の一番上部から流しているが、これが勢いが良くてそうめんもスピードをつけて流れていく。結局一番下のところに設けられたザルにそうめんがたくさん集まり、そこに腰を落ち着けていただいている人もいた。興が乗ってブルーベリーも一緒に流していたりした。これがまた皆さんに受けていた。
 こうしている間にバーベキューコンロに火は熾きて、100人を超える焼肉がスタートしている。
 今回から少しでもごみを出さないよう配慮しようと、屋外行事用に準備したお皿が使用されている。今までは紙皿や紙コップ、割り箸が使用されていた。
 お皿には焼肉と野菜が盛り付けられ、そして石垣島から届いた横浜の画伯すずきさんからのプレゼントのパイナップルも添えられている。紹介すると皆一様に「美味しいです!」という感想が返ってくる。ちょうど食べごろだったこともあり、柔らかな果肉からジューシーな甘みが口の中に広がった。
 昼食もすみ腹ごなしに「パン食い競争」だが、使用のパンはもちろん「ゆいまある」のパンが棒に下がっている。結構これが皆さんに受けがよく、張り切って競争していた。
 行事の最後はあうんのミュージックパフォーマンスで、一人ひとりが楽器を持ち列を組んでお客様の周囲を回りながら演奏をした。そしてメロディフォンという棒状の楽器を静かに演奏する。それぞれがハンディキャップを持ちながらも、てらいもなく明るく楽しく演奏する姿は聴衆の感動を呼んでいた。最後にアンコールが沸き起こる。その声にこたえらるのが今のあうんの実力だろう。元気よく定番になっている「ジンギスカンダンス」が繰り広げられる。スタッフも利用者も入り乱れて楽しく踊る姿は、この施設の明るい雰囲気を象徴しているだろう。「厳しい稽古がなければこの力はつかない」などということはまったくなく、あうんの音楽練習は極めて和やかでみんなで作り出そうという意欲に満ちている。そういう雰囲気を私はとても気に入っている。
 こうして賑やか・美味しく・楽しくの3拍子そろった「第1回目のブルーベリー祭りが終了した。後で写真をパソコンでフラッシュすると、メンバーさんの表情の楽しさが見事に表れていた。準備の苦労がこうして報われていた。

村上春樹/回転木馬のデッドヒート

2009-07-20 05:09:35 | 私の本棚
 久しぶりに村上春樹の書籍を買いました。「1Q84」上、下巻も売り切れと聞いて、いつかまた並ぶだろうと思っていたら、目の前にありました。しばらくはまた村上春樹の世界を楽しめそうです。とりあえず「回転木馬のデッドヒート」を読み出しました。「プールサイド」まで読み進んでいます。ある程度同じ世代と言える村上の世界は、いつも共感に満ちています。ビリー・ジョエルの歌をもう一度聴いてみたくなりました。
 ベトナム戦争への反戦運動下、ぼくたちはヘルメットとジーパンがユニフォームになっていた。学問とは何か?が問われた時代だった。正義のための戦争などないと悟ったのがあの時代だった。あれからぼくは人を支援する仕事につくことにしたのだった。もう37年前の話だ。
 

流しそうめんの装置完成でーす!

2009-07-20 05:00:03 | ブルーベリー畑
 写真は青竹で作った流しそうめんの装置です。何しろ「ブルーベリー祭り」に100人を超える申込者があって、通常の規模では足りないくらいです。でもなんとか良い青竹が見つかって、昨日会場にセットしました。ブルーベリー畑の井戸水も快調で、とっても冷たく美味しい流しそうめんが味わえそうです。