音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

ワン・ホット・ミニット (レッド・ホット・チリ・ペッパーズ/1995年)

2012-09-15 | ロック (アメリカ)


前作「ブラッド・シュガー・セックス・マジック」レッチリのポップ音楽における位置を高めたのは、音楽ファンなら殆ど誰もが知るところである。そして、こういう作品の次の作品というのは通常の何十倍も注目されてしまうものであるのが世の常であり、多くのミュージシャンがその轍を踏んできた。ピンク・フロイド然り、マイケル・ジャクソン然り、オアシス然り・・・。だがこの3アーティストは前作の出来と遜色ないか上回っている。フロイドは違う形で応えファンに指示された。マイケルは最早アルバム云々だけでは評価されない存在になっていた。そしてオアシスは完全に前作を上回った。だがこの3アーティストは稀な例で、その他のアーティストは前作を越えられず、その後沈んでしまったケースが多い。特に70年代後半は商業音楽の成長期であり、ミリオンセラーであっても前作の半分以下にしか満たない販売実績ならば、プロモーションから外されたミュージシャンというのは、例を上げれば限がない。

さて、そんな前例に対してレッチリはどうだったのか。私は個人的にこのアルバムは結構好きだ。だが、前作発表の後、ジョン・フルシアンテは1992年の来日公演中に脱退。一時期は半ば隠遁生活を送り、1999年にヘロイン中毒とうつ病克服して復帰するまでこれらに苦しんだ。従ってこの作品には新たに元ジェーンズ・アディクションのデイヴ・ナヴァロがギタリストとして参加している。ジョンは若干18歳でレッチリに参加、その演奏はまさに天才の名を欲しいままにしたが、一方でヒレル・スロヴァクを超える事はできず後々「新三大ギタリスト」の一人と音楽ファンに賞賛されているものの、本人は納得していない。但し、ジョンの演奏の特徴は明確な部分が多く、確かにヒレルがメンバーと結成以来のレッチリファンに与えた影響は大きいものの、私のジョンも評価も高く、なぜなら、この作品においての代役ナヴァロがジョンのプレイを模倣しているのは明解だ。また同時に、レッチリはこの作品で今後の大きな方向性を示唆しているのも事実で、それはまさに「ちんこソックス」からの完全な脱却であったのだと想定される。ヒレル亡き後のメンバーの喪失感はおバカなパーティーバンドのままではいられない、大体、ヒレル自体がそういうキャラではなかった遺志を明確にしたのが前2作、特に前作で世間、いや全世界に認められたことで、初めて彼らは自分たちの音楽の本質と、それを支持するファンへの期待と回答を意識したのだといえる。だからこの作品には、この後の名作と栄誉に繋がる作品が並んでいるのだ。殿堂入りすべくレッチリの、この作品が再スタートなのである。

相変わらずテクニックは凄いが、だから楽器経験者ならやってみたくなるし、演奏したこともあるが、それこそお粗末な内容にしかならなくて、リトナーとかカールトンの曲をやった方がもうちょっと纏まると思ってしまう程だ。特にこのアルバムではアップテンポ曲の演奏技術は前作より格段に上り難曲になっている。一方で次作「カリフォルニア・ケイション」に繋がるスロー、ミドルテンポの曲も増えていて、ミクスチャーだけというより、新時代のブルースに繋がる提言もあり、全体のトータルバランスは向上している。商業的には前作の半分以下だったが、今まで支持されなかったイギリスで評価が高く、商業的にも成功したことがレッチリの新しい局面への追い風になったのである。


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