音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

ヴァイオリン協奏曲ニ長調 (ピョートル・チャイコフスキー)

2009-06-22 | クラシック (協奏曲)


「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」繋がりで、この楽曲の鑑賞記を書く。「メンコン」も入れて、所謂4大ヴァイオリン協奏曲は、その名の通り、何れの曲も素晴らしいの一言に尽きる。バッハもモーツァルトも、パガニーニもヴァイオリン協奏曲を書いているが、やはり、この4曲が飛び抜けているのはなぜなのだろうと思う。それは全く勝手な好き嫌いであるが、ニ長調で書かれていることが大きいと思う。個人的にもニ長調は好きで、「ブランデンブルグ協奏曲」(第5番)、「王宮の花火の音楽」、ハイドン、モーツァルトやベートーヴェンの古典派にも名曲が多く、ロマン派時代になってもブラームスは交響曲2番、チャイコは弦楽四重奏の1番やポーランド交響曲も書いている。前出パガニーニのコンチェルトもそうだし、最近では、「川の流れのように」、「乾杯」、「リンダリンダ」、「TSUNAMI」など、また、ラジオ 体操第1(服部正)もこの調である。かくいう私も過去に作曲したのはなぜかニ長調が多い(もっとも私はニ長調なんて高尚な言い方はせず、D majorと言うが・・・)。バロック時代からもこの調は、シャンパルティエが「喜びと勇壮さを表す」と述べるなど、弦楽器の響きが最も良い調とされて来た。だからやはり、このニ長調が書かれた3曲のコンチェルトはダントツなのだと思う。

チャイコフスキーの音楽は実は日本人に一番あっているというのが私の自論である。日本人は曲のタイトルはわからなくてもチャイコの曲は沢山知っていると思う。その良い例が、まず3大バレエ組曲、そして次がピアノコンチェルトの1番である。しかしそれに比べると、私がこのときに鑑賞に選曲したこのコンチェルトと交響曲6番「悲愴」は、チャイコの中では誰でも良く知っているというほどポピュラー(悲愴は良く三大交響曲の1曲といわれるが・・・)ではない。しかし実は、こちらが本当のチャイコの真価が詰まっている名曲だと思う。奇しくもブラームスのコンチェルトと同年に出来上がったが、パトロンのメック夫人から賞賛は貰えず、当時ロシアで最高のヴァイオリン奏者だったレオポルド・アウアーにも演奏を拒否された。その後の初演でも楽譜の理解がなされず、最悪の状況で演奏されたため、評価も最悪で、当時かのハンス・リック(絶対音楽の支持者)をもってして、「悪臭を放つ音楽」とまで言われた。当時作品が演奏者に好まれなかったというのが理由だったが、唯一、初演から独奏を担当したヴァイオリニスト、アドルフ・ブロッキーは酷評を向こうに機会あるごとにこの曲を演奏・紹介し、ついには、初演を拒絶したアウアーもこの演奏に着手、同時に有能な弟子たちにこの曲を伝授した結果、評価が高まったといわれている。

ブラームスのコンチェルトと比べるとかなりメロディアスである。だが、カデンツァの難しさはブラームスと双璧を為す。また、アウアーが大幅にカットした部分を近年、チャイコフスキー国際コンクールでノーカットと定めたため、最近では漸くフル演奏されるようになった。ブラームス同様、この曲も私は第3楽章が好きだ。というか、4大ヴァイオリン協奏曲は作曲家の主張が一番出されているのは第3楽章だと思う。それは、メンコンは別として第1楽章のカデンツァが作曲家本人によって書かれるよりも演奏家で変わってきているからかもしれない。


こちらから試聴できます。


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