
正直なところ、大好きなレッチリだが、第4作目の「母乳」までの3作は違いがよく分からない。これは、この時代にこのバンドをリアルタイムで聴いていないからであり、私よりも20年下の人たちが、ジェームス・テイラーやカーズを聴いて「どのアルバムもおんなじですね」と、不届きなことを言うのと殆ど違いがないことだと思う。要するに、モーツァルトを聴いて彼の旋律を特徴だけで解説したがる現代指向共、余り変わらないレベルだということだ。
しかし、一応、トレンド、カルチャー・ライターの端くれとしては、多少の違いくらいは見つけて宣ってみないことには話になにもならないので、頑張って聴いた。まず、鉄則としてプロデューサーを確認、おっとビックリ、ジョージ・クリントンだって。これは驚きだし音楽ファンなら泣いて喜ぶブラック・ミュージックの人気者だ。彼はパーラメントを率いてその名を音楽市場に轟かしたあと、所謂Pファンクの創始者として活躍の幅と新しいファンク音楽の裾野を広げることに貢献した。そういえばこのアルバムに中で特に"The Brothers Cup"は、Pファンクっぽい構成と演奏でありこれはデビュー作品には全くみられなかった(もっとも、1stは、ヒルとジャックが参加していないからレッチリじゃないといえばその通りだが・・・)。ミーターズのカバーも演奏しているがなんとも嬉しいのは、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの"If You Want Me to Stay"を演奏していて、これは実にバンドとしてのまとまりができている演奏だと思う。それから、レッチリというとついつい"Blackeyed Blonde"みたいな曲が「らしく」て、いいと思ってしまう。特にベースランニングは半端じゃないって。短いけど(「から」かもしれない、一般的には)。 また実は1曲毛色が違うのが、"Catholic School Girls Rule"である。この曲も短いのだが、なぜかこの曲だけ80年代イギリスにみられるパンクっぽさがあって、通称「オバカなパーティバンド」から、オルタナの旗手への脱却のヒントになった曲なんじゃないかと思う。今まできちんと聴き比べていなかったせいか、やはり、前言撤回で前作とは質が違っている。しかしながら,、これはジョージ・クリントンの影響なのか、矢鱈とフリーのベースだけがファンクであるが、その一方でこの色は今も変わってないから、フリーだけはこの大御所のプロデュースで一人だけ一段上に上ってしまったのかもしれない。
勿論、この時点で聴いていれば、そこそこ評価のできる作品である。まぁ、私の悲劇はやはり「ブラッド・シュガー・セックス・マジック」を彼らとの出会いの最初に聴いてしまったことであろう。
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