音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

フルート協奏曲第1番ト長調 (ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト)

2010-04-10 | クラシック (協奏曲)


天下のモーツァルトもやはり人の子だと思うエピソードが幾つかある。尤も、オスカー映画「アマデウス」は人の子の部分を可也強調していたが、そもそもが作曲に関してはかなり真摯な人だっただけに、特にモーツァルトのエピソードは極端で面白い。そして、当時の彼は、今でいう流行作曲家であるのだが、大概そういう人はとても真面目に生きているのに、その「流行作曲家」としての生活も現代的であるのが面白い。要するに音楽だけでなくプライベートにおいても先進的な人だったのだ。

モーツァルトはフルートが独奏の協奏曲を2曲書いている。そもそもが管楽器を主役としたコンチェルト自体が大変珍しいのであるが、彼は管だから出せる音域というのにも可也魅力を感じていたのであろう。そもそもがフルートの愛好家のオランダ商人、フェルディナン・ド・ジャンという人が注文したフルート作品である。この時代は宮廷音楽の晩年でもあったが、このように作曲家をまるごと抱えたパトロンが居た時代から、個別の受注生産というのが流行っていたのであるが、モーツァルトの時代にはまだまだ少ない方であった。注文は3曲の協奏曲と2~3曲の四重奏曲という記録が残っているが、モーツァルトは2曲の協奏曲と3曲の四重奏曲を書いたが、協奏曲のうち1曲(第2番ニ長調)、既に出来上がっていた名曲「オーボエ協奏曲」を手直ししただけの楽曲だったらしい。ただ、オーボエ協奏曲(ハ長調)はモーツァルトの没後、かなり後年になったから発見されたので、逆にこのエピソードがなかったら、あの名曲の発見もなかったと思うと面白いものだ。記録では結局約束を違えて報酬は半分以下だったという。こんな話は、現代でいう歴史上の有名な芸術家たちには良くある話であるが、こと、モーツァルトとなると、果たして真実は如何にと思うのである。なぜならモーツァルトは管楽器の中でもフルートは好きではなかったという説が強いが、一方でかなり多くのフルート曲を残している。音楽家がある決まった楽器の曲を作るということを現代に当てはめて考えてみれば簡単で、作曲家が「歌わせたい歌手」がいるからであり、当時、モーツァルトの周辺にはヨハン・ヴェントリングというフルートの名手が居た。前述したオランダ富豪、ド・ジャンも彼の紹介であるが、要するにモーツァルトは金のために楽曲を書いたのではなく、ヴェントリングの名演奏のために懸命に楽曲を作ったのである。芸術家というものはそういうものであり、それは彼が天才である一方で音楽に真摯で一途な人間味を持っている部分ではないか。

モーツァルトのコンチェルトは実に「かたち」が出来ている。だから初めて聴いた楽曲でも、旋律が同じに聴こえる気がするが、全く違う音符が並んでいる。しかしそれがモーツァルトの特徴である。そして編成もとても小さなものであるが、それはフルートという楽器が如何に繊細な音を出しているということを知らしめるものでもある。まさにモーツァルトにしか書けない曲といっても過言ではないだろう。


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