音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

チェロ協奏曲イ短調 (ロベルト・シューマン)

2010-01-07 | クラシック (協奏曲)


なんだか大変のんびりしてしまって(お正月ボケではなく・・・というか喪中だったので)今年初めての記事をアップする。昨年は一人でメンデルスゾーン生誕200年を騒いでいたが、当然のことながら、2世紀前はロマン派時代の中心となる音楽家の団塊の時代であり、今年はショパンとシューマン生誕200年である。我が国はそもそも根底にある日本古来の文化とは別に、幼児教育のひとつとして「読み書き算盤」と同じ目線で「ピアノ」の習得が相変わらず高い人気を得ている。これは私の幼少期と然程変わらない人気指数を保っているから、当然そのピアノ修練の究極的存在であるショパンという人物は、この国では音楽家以上のステータスを維持していて、彼の生誕200年は、この国においてはシューベルトよりも大事な「メモリアルイヤー」である。また、メモリアルイヤーという意味では、マーラーが生誕150年である。マーラーといえば、ある意味においては、ロマン派音楽という拘りを取っ払ったという実績においては、言い方を変えればロマン派音楽を終焉させた音楽家と言っても良い。そういう意味でいえば、この二人と比べると可なり地味な存在になってしまうのであるが、シューマンという人は、私の理解に置いてはロマン派音楽を確立させることにその生涯を尽くしたといっても過言ではないと思う。つまりはこの生誕200年と150年のふたりは、欧州におけるロマン派音楽の立役者二人という考え方ができ、そのふたりの50年という年代差の中にロマン派音楽が集約されていたと言えるのではないか(このことについては、断片的にこのブログでも触れているが、機会があったらきちんと自論として纏めて置きたい)。だからこのメモリアルイヤーの最初の記事はシューマンの作品から始めたいと考えた。

シューマンはご存じのように3曲の協奏曲を書いているがヴァイオリン協奏曲は作品番号が付けられていない。ピアノ協奏曲も有名だが、同じイ短調でもあるこのチェロ協奏曲は如何にもシューマンらしい作品である。エルガーのチェロ協奏曲の鑑賞記でも書いたが、私的にはチェロ協奏曲の中では、確かに、ドヴォルザークが突出しているものの、チェロという弦楽器をヴァイオリン並みにオケの主役の座に押し上げた最初の曲は、このシューマンのコンチェルトである。また、ピアノ協奏曲と同様、ロマン派時代の作品らしい情感が全編ら漂っている作品でもある。特に第1楽章はチェロが高音域と低音域を、アルペジオを利用して自由に行き来しているところが大きな特徴である。また、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲同様、第1から第3楽章まで切れ目なく演奏するように指定されているのも特徴で、そのあたりは如何にもこの時代の象徴を常に探し求めていたシューマンらしさの演出であるとも言えよう。シューマンは実に堅実な音楽家であったと思う。彼にはどうしてもクララとの熱愛や、抒情的なイメージが先に立っているが、では音楽的にどうだったかというと、実にロマン派時代の寵児として、ベートーヴェン以降の音楽を体系化し、更に、ピアノ音楽の確立に積極的に勤しんだ。だからこのチェロコンチェルトも当時の音楽の王道を奏でている。ドヴォルザークの名曲はロマン派音楽のコンチェルトの集大成であり、そのコンチェルトの道筋を作ったのはシューマンのこの楽曲であることが納得できる作品である。

この曲自体も、シューマンの生前には演奏されたという記録が残っていないが、この時代になると楽譜が整理され残っていることにより、それが後世の偉大な音楽家たちによって継承されている。クラシック音楽の素晴らしさはそういう点にあり、そういう意味ではその祖たる存在が、モーツァルトやベートーヴェンでもない、このシューマンであることに、彼の生誕200年というのは非常に意味のあるメモリアルイヤーなのだ。


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