地元上毛新聞の記事に、興味深い論説を読みました。その記事は、4月22日(日曜日)のにっぽん診断に書かれていた文で、佐藤方宣(さとうまさのぶ)関西大准教授が記述者です。 以下引用です。
政府は、2013年度の国家公務員の新規採用数を、政府交代前に採用が決まっていた2009年度に比べ56%削減する方針を決定した。当初目標としていた7割減には満たないものの、2012年度と比べても4割減と大幅な削減率である。
また、2013年度から国家公務員の年金支給開始年齢が段階的に65歳までひきあげられるのに伴い、再雇用を希望する定年退職物は原則的に再雇用することを義務づける制度も決めた。さらに政府は今国会で、一般企業にも希望者全員の65歳までの雇用確保を義務付ける高齢者安定法改正案の成立を目指している。
こうした一連の政策は、税や社会保障制度の破綻を回避し社会の持続可能性を維持するために、そして震災からの復興のために「痛みを分ち合う」ことだと説明されている。
しかし、これは二つの意味で誤っていると言われざるを得ない。第一に、それは若年層という社会への新規参入者にのみ負担を押し付ける「不公正」なものであり、また実は社会の長期にわたる持続可能性を毀損するという意味で「不効率」なものでもある。
もちろん定年後にも雇用が保証されること自体は、現に正規雇用を確保している人にとっては好ましいことだろう。しかし、それぞれの意欲と能力に応じて個別に判断されるべきことであり、まして国が民間企業に対して一様に義務化するべきことではない。
もし逆に政府が民間企業に若年層の就職希望者の「完全雇用」を義務化しようとしたならば、果たして賛同する人はいるだろうか。このように世代によって明らかに非対称的な取り扱いは、果たして痛みを分かち合うものといえるだろうか。
また、こうした声を上げない人々に負担を押し付けるやり方は、長期的に見れば自分たちの首を絞めることにもなる。新たに社会の中核を担う若年の雇用機会が失われれば、社会の再生産の根幹は崩れ、安定した成長の可能性も失われてしまう。若年層への負担押し付けという安直な解決策は、全世代にとってマイナスの結果を生んでしまうのである。
社会の安定とは、今ある既得権をそのまま守ることではない。新しい参入者にも十分に気を配ることで、初めて長期にわたる持続可能性の基礎を担保することになる。社会の持続可能性のためにも、低成長下における震災復興という困難な課題にとっても、世代間の公正への十分な配慮を忘れてはならない。
中高年の雇用を確保のために、若年層の雇用が狭まばれているということはあってはならないことだと思いますが、現実はその通りです。
また、その中高年の雇用が確保されることにより、その子女が無職でも生活ができることになります。そして、子女はいつまでも親離れできず、結婚することもままならずなくなる現実。
悪循環の社会となっているのが日本社会だと思います。