TSUNODAの経営・経済つれづれ草

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「会社が嫌いになっても大丈夫」(楠木新著)を読む

2010-09-20 07:30:40 | 今週の一冊
「会社が嫌いになっても大丈夫」という本を読みました。



 この本は、有名国立大学出身で大企業に就職した著者が、課長職への登用も、支社長就任も同期トップとエリート街道を走っていたのですが、うつ状態になり、3度の休職を経験したが、立ち直った記録です。

 この本では「こころの定年」という著者オリジナルキーワードがたびたびびでてきます。この言葉は、「誰のために役だっているのか分からない」「成長している実感が得られない」「このまま時間をやり過ごしていっていいのだろうか」と自問自答した結果から生まれた言葉です。

 言ってみれば、うつ病を経て「こころの定年」にいかに向き合うのかというテーマを掘り起こした記録となっている本です。

 この本では、うつに至るまでの状況、会社、家族、病院などとの関係や、その時々の著者の心情が正直に書かれています。組織人が書いたものですから、医療や心理等の人が書いたのと違った視点のことが書かれています。以下、その箇所で私が印象に残った引用です。

・職場のメンタルヘルスを取り上げる場合、インフルエンザの患者に対する治療とは異なり、その人と組織との関係、上司、部下や家族との人間関係、またはその人のライフスタイルやメンタル面が密接に関わっていることなどを見逃しては意味がないと思ったからである。同時にその人の主体性が発揮されなければ本来の回復は難しいだろうとも感じていた。

・うつが治るというのは、元に戻ることではなく、「自分の心構えを切り替えること」、「新しい生き方を探すこと」だという実感である。逆に言えば、切り替えない限り、本来の治療はありえないような気がする。

・実際には、自分を変えることは本当に難しい。変えるどころか自分の立ち位置を変化させるだけでも自身の存在を賭けるようなことが求められる場合もあるのだ。ビジネス書の中には、前向きに一定の努力をすれば簡単に自分を変えることができると説く本があるが、私の実感とは相当隔たっている。

・採用の責任者を務めた立場でいうと、本来の採用活動は、一緒に働く仲間を募る行為だと思っている。

・就職には偏差値も全国共通就職テストも存在しない。それは、就職活動が優秀な人を見出すコンテストでなく、部下や同僚として一緒に働きたい仲間を探す行為だからだ。

 著者は、3度の休職という壮絶な経験を経験した中で、200人への転職した人へのインタビューという生きがいを見出し、書籍を出版、大学の講師、全国新聞への連載記事と活動をしています。

 この本には、苦しんで苦しんで得た、心の平安が書かれています。

 さて、3度の休職の時期のことが書かれているのですが、著者が休職時の他の人の負担はうだったのでしょうか。著者が自分の道を見つけていく過程が丹念に書かれていますが、その時に著者の仕事を代りに担当していた人の負担はいかばかりだったのでしょうか。管理職だったので実務はなく、意思決定するのが仕事だったので問題なかったのでしょうか。

 うつ病の人が職場に出て3カ月休業すると、他の人は不満が募ると言います。6か月休業すると、職場に不満が充満すると言われます。1年休業すると、他のうつ病患者が発生すると言われます。

 著者は管理職であり、大企業に勤務しており人員的な余裕がある環境なのでしょうから、上記のようなことはなかったのかもしれません。回復して、多方面で活躍されていることが丹念に書かれていますが、組織でうつ病の人の周辺のに負担を強いられる人への思いがないのが気になりなります。まあ、そんなものなのでしょうか。