「ビューティーコロシアム」という番組が嫌いです。
ビューティーコロシアムは番組が応募によって選別された不美人をスタジオに招き、
彼女たちが不美人であるがゆえに受けてきた屈辱や差別の体験を語らせて、
ゲスト芸能人(主に司会の和田アキ子)が整形の必要性の有無を判断する。
そして、晴れて(?)整形の必要有りと判断されたなら、
費用は番組もちで整形手術を受けられるという内容。
私がこの番組が嫌いな理由は
人が人を顔によって判断・差別することを改めて実感させられるからです。
こういうと、なにやら聖人ぶっているようですが、
無論、自分も例外ではなく、
同じ性格の美人と不美人がいれば間違いなく美人を選びます。
人はやはり哀しい。
そういう現実をまざまざと見せつけられるから嫌いなのであります。
しかし、我々はその哀しい現実を背負って生きてゆかねばならぬわけで、
本来、不美人に必要なケアは整形ではなく、
そういう自分をいかに受け入れていかに生きてゆくのかということだと思います。
それが難しい事は重々承知です。
ゆえに、整形は否定しませんし、整形を悪だとは思いません。
整形が悪であるならば化粧も悪です。
整形によって当人が喜ぶならばそれも良きことでありましょう。
私も決してキレイな顔立ちをしていませんし、
むしろ、整形したいくらいの顔ですが、
決して忘れてならぬことは、
「整形して人はキレイにはなるが決して美しくはならない」
ということであります。
昨今、小奇麗な女性や男共は増えて街中に溢れていますが、
果たして「美しい」と思える人がそれほど居るか。
美しさとは云うまでも無く見た目だけの問題ではありません。
我々は見た目のキレイさを追求するあまり、
心身の「美しさ」の追求をないがしろにしてはならないのであります。
ビューティーコロシアムは番組が応募によって選別された不美人をスタジオに招き、
彼女たちが不美人であるがゆえに受けてきた屈辱や差別の体験を語らせて、
ゲスト芸能人(主に司会の和田アキ子)が整形の必要性の有無を判断する。
そして、晴れて(?)整形の必要有りと判断されたなら、
費用は番組もちで整形手術を受けられるという内容。
私がこの番組が嫌いな理由は
人が人を顔によって判断・差別することを改めて実感させられるからです。
こういうと、なにやら聖人ぶっているようですが、
無論、自分も例外ではなく、
同じ性格の美人と不美人がいれば間違いなく美人を選びます。
人はやはり哀しい。
そういう現実をまざまざと見せつけられるから嫌いなのであります。
しかし、我々はその哀しい現実を背負って生きてゆかねばならぬわけで、
本来、不美人に必要なケアは整形ではなく、
そういう自分をいかに受け入れていかに生きてゆくのかということだと思います。
それが難しい事は重々承知です。
ゆえに、整形は否定しませんし、整形を悪だとは思いません。
整形が悪であるならば化粧も悪です。
整形によって当人が喜ぶならばそれも良きことでありましょう。
私も決してキレイな顔立ちをしていませんし、
むしろ、整形したいくらいの顔ですが、
決して忘れてならぬことは、
「整形して人はキレイにはなるが決して美しくはならない」
ということであります。
昨今、小奇麗な女性や男共は増えて街中に溢れていますが、
果たして「美しい」と思える人がそれほど居るか。
美しさとは云うまでも無く見た目だけの問題ではありません。
我々は見た目のキレイさを追求するあまり、
心身の「美しさ」の追求をないがしろにしてはならないのであります。