あび卯月☆ぶろぐ

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『連合赤軍「あさま山荘」事件』

2006-06-18 00:08:21 | 書評・雑誌
佐々淳行さんの『連合赤軍「あさま山荘」事件』を読んだ。

かの有名な「あさま山荘事件」の警備を指揮していた佐々さんが綴った
ドキュメンタリー小説といったところ。
幕僚の側からみた事件の真相が詳しく書かれていて、大変興味深かった。

この作品は2002年5月に「突入せよ! あさま山荘事件」のタイトルで映画化されて
御覧になった方も多いかと思う。
実は私も以前にテレビでこの映画を観ていて、今回その原作である本書を読んだという次第。

特に読みどころといえば、警視庁と長野県警の軋轢。
警視庁と県警と、さらに警察庁の足並みがなかなか揃わず、苦悩する著者の姿が描かれている。
そういう意味で横の聯繋がうまくゆかない官僚機構批判の書としても読める。
じじつ、幕僚団の一人、丸山参事官が事件後の会見で
「あさま山荘事件での本当の敵はなんでしたか?」という質問に対し、
「一にマスコミ、二に警察庁、三四がなくて五に連合赤軍」と述べて話題になったという。(194ページ参照)

さて、マスコミが最大の敵だったという指摘は正にその通りで、
それを理解するには「あさま山荘事件」当時の社会情勢を知る必要がある。
当時は今では想像できないほど「左翼イデオロギー」が蔓延っていた時代で、
それを理解しなければ、連合赤軍のことも、赤軍が何故このような事件を起こしたかも理解しがたいだろう。

本書の一部を引用しよう。

いまと違って、あの頃はマスコミや世論がどちらかというと学生の反体制運動に同情的で、警察、とくに機動隊は権力悪の権化みたいな扱いを受けていた時代だったからだ。
あの頃は警察官の家族であるというだけで小学校などで日教組の教師から不当な差別をうけるという、今日の若い人には想像もできないようなイデオロギー優先の時代だった。


つまり、当時のマスコミは連合赤軍よりだったわけで、
丸山参事官が最大の敵はマスコミであったというのはそういうことである。
さらに、以下のエピソードが続く。

ある日次男の敏行が区立の中丸小学校から泣きべそをかきながら帰ってきた。
きけば担任のSという女教師に授業中に「このクラスの子でお父さんが警察官や自衛官の子供は立ちなさい」と言われ、次男がほかの警察官や自衛官の子供たちと顔を見合わせながら立つと、
S教師は「この子たちのお父さんは悪い人たちです、あんたたちは立ってなさい」といわれゆえなく立たされたというのである。
(中略)
親の職業で子供を差別して悪いこともしていないのに立たせるとは何事かと激怒した私は、早速校長先生に抗議した。
校長は「日教組には私も困らされています。でも相手が悪い。また子供さんにはね返ってもいけないから」と言を左右にして一向に煮え切らない。
「では教育委員会に公立小学校における親の職業による差別として正式に提訴しますから」と告げると、これはいけないと思ったのか、校長はS教師を家庭訪問の形でさし向けてきた。
S教師は「ベトナム戦争はけしからん、自民党政権は軍国主義復活を目指している。機動隊は学生に暴力をふるう権力の暴力装置だ」など日教組の教条主義的な公式論をまくしたてる。
一通り言わせておいてから「私の言っているのはベトナム戦争や全共闘のことではない。貴女は親の職業で罪のない子供を立たせるという体罰を加えたようだが、
小学校教師としてそれでいいのかと尋ねているのです。反省しないなら私は教育委員会に提訴するつもりです」という。
S教師はヒステリーを起こして「やるならやって御覧なさい。日教組の組織をあげて闘いますよ」と叫ぶ。
「どうぞ、私も貴女を免職させるまで徹底的にやりますよ。ではお引取りください。」と突っ放す。
すると免職という言葉にイデオロギーが負けたのか、突然S教師はフロアに土下座して
「そうぞお許し下さい。教師をやめさせられたら暮らしていけませんので」と哀願しはじめた。
私は呆れ果てて一応鉾をおさめたが、「あさま山荘事件」の時代はこんなひどい話がまかり通っていた時代で、
警察官の家族たちを取り巻く社会環境は、お世辞にも友好的と言えるものではなかった。


この女教師の態度には正に「呆れ果てる」ばかりだが、日教組の本質を表す興味深いエピソードである。

約千五百名の機動隊は命がけで人質の牟田泰子さん(当時三十一歳)を助け出し、
そのなかで、二名の殉職者(死亡者)と二十四名の重軽傷者を出すというあまりにも大きな犠牲を払った。
この機動隊の立派さは是非とも本書ないしは映画を御覧になって欲しいと思うが、
ここではもう一つ左翼のエピソードを紹介しよう。

事件解決後、三月一日の夜、日比谷野外音楽堂で開かれた
「三・一独立五十三周年、日韓条約粉砕、入管法、外国人学校法案国会上程阻止蹶起集会」
に出席した日本社会党の高津正道元代議士は

「連合赤軍はわずか五人で千四百人(ママ)の警察隊を相手によく戦った。今や社会主義運動は言葉だけでなくなった。
私は五十年もの間この日が来ることを首を長くして待っていた。これで革命も間もないことだろう」


という演説を行い、参加した六百人から大喝采を浴びていたという。

元社会党議員が大真面目にこのようなことを言って無事に済んでいた時代だったのだ。
左翼や社会党は平和を愛し、人権を守るなど大嘘である。
彼らは機動隊や人質の人権どころか命すらなんとも思っていないし、暴力革命を本当に望んでいた。
そして朝日新聞をはじめとする左翼マスコミがそれを煽っていた事実を私たちは忘れてはならない。
本書には朝日新聞(A紙と表記されている)の様々な醜態も描かれているが、それはもうここでは述べない。
朝日の醜態を論っていたらキリがないからだ。
それにしても、私が普段、左翼に対して並々ならぬ嫌悪感を抱いている事情も少なからず御理解いただけると思う。

実は本書を読んでもっとも感じたのはそのような「左翼イデオロギー」の時代に対する腹立たしさであった。