すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

舞岡散策

2022-09-29 15:18:12 | 老いを生きる

 今年は大病をした、あるいは大手術を受けた、友人が多い。ぼくより若い人もいるが、同年配が多い。そういう歳なのだ、と改めて思う。
(「健康寿命」とやら言う概念があるのだそうで、詳しい定義は知らないが、日常生活を支障なく送れる限界年齢、の平均は男は72.64歳なのだとか。ぼくもすでにそれを超えている。もちろん、寿命があるのなら「健康余命」というものもあって、もう少し長いのだろうが。まあ、誰でも、寿命が尽きるまではなるべく健康で生きたいものだ。)
さて、昨日ひさしぶりに会ったのは、7月に心臓の大手術を受けた同じ年の男性Aと、半周りほど年下の女性B。二人とも山の仲間、というよりは、近年はすっかりハイキングの仲間だ。Bも足やら首やら腰やらにトラブルを抱えている。前回三人で一緒にハイキングしたのは梅の花の季節だ。
 今回は、再会を兼ねてAの足慣らしということで、戸塚区の舞岡谷戸の散策にした。ぼくとA には、三十数年前、今のように公園として整備される前に、仲間たちと田んぼを借りて稲を作っていた、思い出のいっぱい詰まった場所だ。ぼくも去年、頸動脈の手術を受けた後、足慣らしの初めにここに来た。
 地下鉄舞岡駅で待ち合わせ。思ったよりもずっと元気そうだ。顔色がいい。酒好きのAはさっそくコンビニにビールを買いに行く。40日間断酒をしたそうだ。 
野道を歩く。ふだんは八幡神社の裏手から登って尾根道を行くのだが、Aはまだ上り坂は苦しいので舞岡川のせせらぎ沿いに行く。昔はここは田んぼの脇の素朴な小川だったのだが、公園の整備と一緒に川床と岸は石で固められ、道には石畳が敷かれ、誰でも楽しく安全に歩ける遊歩道になっている(昔の野道が懐かしくもあるが)。ムラサキツメクサとツユクサが続いている。
 ゆっくりゆっくり歩いて30分ほど、住宅地を通り抜けて「坂下口」バス停を過ぎ、かつて「舞岡水と緑の会」の事務局だった家の前を過ぎると道は右折して農道になる。ここまで駅から約1km。さらに200mほど行くと車止め。右手に公園関係車の駐車場があり、入り口左右の垣根に枳殻(カラタチ)が、春には白い花が咲くが、今はゴルフボールの大きさぐらいの黄色い実をいっぱいつけている。
 さらに500mほど入ると北門。門の手前を右に急登。Aは辛そうだ。休みながら登って行くと草地が広がる。「中丸の丘」だ。ここのテーブルでお昼にする。
(舞岡については以前に何度も書いているので、ここがどんなに気持ち良いところか、とかは省略。)
 例によって、病気の話で盛り上がる。あとは、山の思い出話、これから行けそうな山の話。最近、仲間が奥穂高岳に登ってきたので、これが話のハイライト。あとは、どうしても、前日の“国葬”の話題と、これからこの国と世界はどうなる?という暗い話になってしまう。
 お昼を食べて丘を下ると、北門の先はぼくたちが最初に田んぼをやった思い出の場所だ(これも前に書いたから省略)。ネムノキ(?)がからからに干からびた大きな豆をつけ、クサギガ濃い瑠璃色の実を、カラスウリが赤い実をつけている。田んぼには案山子がいくつも立てられている。稲刈りが始まった時期で、週末には子供や大人の歓声でにぎやかなのだろう。稲架も作られている。
かつて農機具小屋があって、脱穀や餅つきをした小丘の先で、道は少し急になる。その辺で引き返すことにして、谷戸の田んぼの反対側を通ってバス停に戻って戸塚駅に出て、「カナール」で美味しいコーヒーを飲んで分かれた。
 時間をかけて体力をつけ直して(これはBもぼくも一緒)、紅葉の頃にはもう少し遠くに行こう。来年になったら高原に泊まりに行こう。山登りも再開しよう。
 

コメント
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