数か月間ほとんど入らなかった“音楽室”に久しぶりに座った。音楽室、といっても縦横2,5m、4畳ほどの小さな部屋だが。屋根のすぐ下にあり、ご近所に音が迷惑にならないように窓を小さくしてあるので、夏の間は暑くてとてもいられない。やっと涼しくなったので、音楽の季節の到来か?
でもぼくは耳が遠くなって歌は止めてしまった。それで弾き語りをするために練習した楽器も気持ちが遠のいてしまった。上の部屋でできることは、音楽を聴くこと、あとはそっちに置いてある児童文学書か少女漫画を読むことぐらいだ。
で、久しぶりにシャンソンを聴いた。ニルダ・フェルナンデスとジェラール・マンセとイヴ・シモンとブリジット・フォンテーヌ。
フォンテーヌ以外は日本ではあまり知名度は高くないかもしれないが、この4人は大好きだ。4人に共通するのは、声の存在感の希薄さ、だろうか。もっと広い空間で聞いたら、何処から聞こえているのかわからないような声。小さな音で聞いたら、存在しているかいないのかわからないような声。ふわふわと浮遊するような声。それでいて、いつの間にか自分がその声に完全に包まれている。
シモンとフォンテーヌは若い頃LPで聴いていた。シモンはいわばフォークソングで、健康な音楽だ。この4人の中ではシモン一人が健康かもしれない。彼は今では小説家としての方が有名らしいが。「フルーリーの少女」とか「ジャングル・ガルデニア」とか、懐かしい。
フォンテーヌはかなり危険だ。むかし、自分がとにかく希薄な存在になりたいと思っていた時期があった。できれば消えてしまいたいと思っていた。その頃に彼女の歌を何時間も聴いていた。フォンテーヌを聴きながらウイスキーを飲んでいて、ガス栓をひねったことがあった。今聴いても、どうしてそういう気になったのかわからないではない。
フェルナンデスとマンセはパリに住んでいた頃にラジオで聞いて、すぐにCDを買いに行った。それぞれ、そればかり聴いていた時期がある。マンセの「夢の商人」は恐ろしい歌で、夕暮に血の池のほとりで子供の首を入れた袋を担いで船に乗ろうとしている男が、ぼくの夢の中に何度も出てきた。
4人の中でいちばん好きなのは、フェルナンデスだ。彼は細いハスキーな超ハイトーンで、ぼくは彼の歌を何曲かモノにしようとしたのだが、まるで手に負えなかった。彼はポルナレフのキーを地声で歌う。日本に帰って来てデュモンでCDをかけたら、誰も男性と思わなかった。「フランソワ―ズ・アルディでしょ?」という人がいた。確かにそういう感じはする。
じつはぼくのブログのタイトル「ぼくが地上を離れるまでに」は(近いうちに変えようと思っているが)、フェルナンデスの曲から思いついたものだ。残念なことに彼は3年前に心不全で亡くなっている。
ぼくは今では、「限りなく希薄な存在になりたい」と思ってはいないが、フェルナンデスの声を聴いていると、あまり聴いていると、またそういう感覚が戻ってくるかもしれないという気はする。
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