「三椏」「三叉」
ジンチョウゲ科の落葉低木。古く中国から渡来,
樹皮の繊維で和紙を作るため栽培。
枝は三個ずつ分枝する。葉は披針形。冬の間中,各枝先に
筒状の白いつぼみを密に下垂してつけたまま過ごし,早春,黄色の頭状花を開く。
和紙は良質で虫害を受けにくく,紙幣や証券用紙に使われる。
近くの鎌倉の「墅草園」にて。
月13日墅草園にて
三椏 三叉と書く、枝は三個ずつ分枝する。
三椏は紙の原料(紙幣や証券用紙)となります。
従ってどこかで植栽が・・・❓そのミツマタを見たかった。
有りました。
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大雲取越 新宮市熊野川町上長井
≪ 余 談 ≫
コウゾについて
ミツマタは木の材質については知りませんが、
コウゾ で作った障子紙を昭和年間に田舎で使っていました。
実は親戚で和紙作りを家内工業的に庭で紙漉きをしていました。お手製の障子紙作りでした。
今でも思うのですが、実に丈夫で障子紙が破れないで、障子の骨が折れるくらいでした。
厚い、丈夫、縞模様(木の繊維が残ったもの)の入った障子紙でした。
又実家の近くに、コウゾ加工業者があって
山地からコウゾウを採ってきて、よく蒸かして皮をむきて干してあった。
束ねて和紙業者に原料として出荷していたようです。
コウゾの花(桑の葉に似ています)
締めていましたがopenにしました。
三又、文字の通りに、枝が3方向にです。律儀な木と思います。
三又や三つに分かれ岐路先は
花全部着け小虫うろつき (縄)
小虫あまりにも小さくて調べられません。
いつも岡山の事ばかりで申し訳ありませんが・・・
岡山には県北、美作地方は三椏の一大産地です。
ここで作られる横野和紙は、箔合紙としては日本一だそうで、金沢の金箔の裏紙のほとんどを生産しています。
津山・松平家から御用紙をすくことを拝命され、現在6代目の上田茂男さんが、親子で唯一の後継者です。
紙幣や地域の小学校の卒業証書にも使われています。
寒い時期に冷たい川の水での作業は大変そうです。
後継者が育つことを祈っています。
これが紙の原料になると言うことを知りました。
後年、姉がまだ生きていた頃「教科書にコウゾ・ミツマタのことがあったよね」と言ったら、
「そんなこと覚えてない」と言われましたね。
何でその名を覚えていたのか私も不思議です。
この植物、現物はまだ見たことがないのですよ。
ミツマタのお花もそろそろ終盤のようです。
お写真のお花たちも中心部まで開花して だいぶ咲き進んでいますね。
いい香りがするのがいいですね。
とんちゃんさん
ドンコさん
その土地土地の名産・名物をやり取りできる、こんな素晴らしいことは無いと思います。
横野和紙をググってみたら、なるほどなる程です。
ミツマタは知りませんが、やはりコウゾで作った障子紙を昭和年間に田舎で使っていました。実は親戚で和紙作りを家内工業的にして居ましてこれを分けてもらいました。
今でも思うのですが、実に丈夫で障子紙が破れないで障子の骨が折れるくらいでした。
厚い、丈夫、縞模様の入った紙でした。
又我が家の近くに、コウゾ業者があって
山間山地ですから、コウゾウを採ってきて、よく蒸かして皮をむき、干しあげて和紙業者に原料として出荷していたようです。
岡山のコウゾは、やはり秩父のコウゾよりも上等紙に仕上がっていたようです・・ね。
岡山と言えば備中備前お殿様の奥座敷、
秩父は農民一揆、貧しき生活から這い上がった下層社会でした。ハハハハアアハ~
コウゾは桑の様な葉っぱ、そして桑の実の様な実が成りました。(方言でドドメ)
ドンコさんはあまり覚えがない。
それもそうかも知れません、コウゾ、ミツマタは、山に生えているものなので・・・・・海岸にはお魚でしょう。
山彦、海彦と言ったところですかね。、
、
そうですね、もう終わりのようです。
三又はコウゾに比較しましたら成長が遅いようです。
・ 三椏や手毬の様に丸く咲き (縄)
でも 呪文のように覚えた コウゾ ミツマタ の
コウゾは知らなかった
今日はちょっと肌寒かったです。
明日は雨予報
どうせ家の中だから 降っても照っても同じですが
でも洗濯がね~
ミツマタの木は公園でも 見られますね。よく名札をつけられているので
覚えました。
お習字の清書のとき みつまた でと言われましたが 今でも本当の
ミツマタとは思えませんが。
多分 いい紙ということでつかっていたのかなとおもいます。
三又は知らなかったですが、上京してから覚えました。
三又は貧相で花がまん丸でした。
葉っぱはどうなるのだろう、観察してみたいです。