鶴君の機関車観?(館?)

鉄道大好き!機関車大好き!鶴君のブログです。機関車ネタを中心に旅行あり、B級グルメありの雑記帳です。ご覧ください。

むかしむかし・・・関門トンネルの主がEF30だった頃

2011年11月26日 11時37分06秒 | 電気機関車
むかしむかし・・・・関門トンネルにEF30が活躍するころがあったとさ(笑)

またまた懐かしもの!1982年シリーズです。

SL山口号に乗り幕末の志士達のゆかりの地を訪ねる旅行の途中で、下関に一泊しました。その翌朝、小郡に(今は新山口ですが・・・)向かうため、下関から列車で移動しました。その発車待ちで撮影できたEF30の写真が今回のテーマです。

この頃は、EF30と4両のEF81300番台が関門トンネルを担っている時期でした。EF30も試作車の1号機は1978年か1979年に現役引退し、門司の公園に展示されていました。前からここで書いていますが、私はEF81ファンだったので、この日もEF81を期待していましたが、見ることが出来ず、残念な思いをしたことを覚えています。

私にとって現役のEF30を見ることが出来たのは、これが最初で最後でした・・・。次にEF30を見たのは、十数年後の高碕の展示会で、そのカマは今でも横川に保存されています。

さて、まず最初は九州ブルトレです。


EF302 下関駅  1982年3月 CANON AE-1 50mm

14系なので「さくら」か「みずほ」なのですが、どちらか思い出せません。特急好きの私が、珍しく14系の写真を撮っていません(笑)たぶん、初めて見るEF30に舞い上がっていたか、ブルトレブームで14系を撮る人が多く撮影していないかのどちらかです・・・。前述の通り、1号機は廃車されていますから、この当時の最若番ということになります。

この列車と前後して、関門トンネルを抜けてきた貨物列車も撮っていました。


EF308+? 下関駅  1982年3月 CANON AE-1 50mm

貨物列車は重連運用だったのですね!2両目は何号機かわかりませんが・・・
パンタは架線中にかかってるし、カマの前に表示板があるしと・・・どうしようもない写真ですが勘弁してください。何分、現役EF30はこの時の写真しかないもので!

やはりNゲージでもEF30(tomix)を1両増備しましたが、ほとんど運用につくこともなく棚に眠ったままです。たまには出してあげないととは思うのですが・・・

まあ、現役時代を見られて良かったという話でした。ちゃんちゃん!
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むかしむかし・・・登場間もないEF641000

2011年11月23日 15時37分11秒 | 電気機関車
むかしむかし・・・・

またまた、懐かしものシリーズ1982年です!

以前にも書きましたが、知人Kさんの影響で電気機関車が好きになった私ですが、まず気に入ったカマがロースピンクのEF81でした。宇都宮にも入線来ていましたから!そして、宇都宮といえば定番だったEF651000番台です。次にお気に入りにカマになったのが、上越線の旧型電機を置き換えるために新製されたEF641000番台です。

あの長い車体に、左右非対称の側面、そして目立つ屋根上機器等々・・・とにかく好きでした。

はじめに16両が投入されたと記憶していますが、旧客時代の急行「能登」の牽引など思い出が沢山あります。(この写真もスキャンしアップします!)

さて、そんなEF641000番台ですが、登場時は現在と装備が違っていました。それは、(皆様ご存じだとは思いますが・・・)上越線の補機運用のための夜間作業用ライトが新製時には無かったのです。今でこそ前面右下のL次型のライトは、おとなしい前面にアクセントを付けていると感じますし、嫌いではないのですが・・・私にとってEF641000番台は、あの車体の長さといい、C57のような貴婦人のイメージだったので、あの厳ついライトがあまり好きではありませんでした。
そこで、改造前の写真を探してみたら1枚だけ出てきましたので、アップします。上野駅での撮影ですが、列車は前述の旧客急行「能登」ではないかと思います。あまりいい写真ではないのですが、前面の補機ライトがないことは、はっきりとわかりますのでみてやってください。


EF641013 急行「能登」 1982年 上野駅 CANON AE-1 50mm

私は、この顔のほうが、おとなしく好きでした。Nゲージでも、TOMIXが最初に製品化したものは(ナンバーがエッチングだった頃)、この補機用のライトはモールドされておらず、発売当初に購入した記憶があります。その後再生産時には、前面警戒色部分の成形色が若干変わりましたが、補機用のライトがモールドされ、しっかり実機に即したものとなってしまいました。当然ですが・・・

そういえば、そのEF641000番台の模型も久しく見ていません。ちょっと収納棚を探して走らせてみようかと思います。

最後に・・・余談ですが、昔はこの長い華麗な車体に特急色を施したららどうなるだろう?とか日々妄想にふけっていたことを思い出します。懐かしい思い出です(笑)失礼しました!

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むかしむかし・・・初めての生きたSL(山口号)を見たとき!

2011年11月20日 11時44分34秒 | 蒸気機関車
昔懐かしシリーズです・・・ここのところ忙しくて写真すら撮りに行けない状態が続いています(泣)ストレスが溜まっています。参りました・・・

最近スキャンしているのが1982年のネガなので、今回も1982年ものです。
ちょっと長文になってしまい申し訳ありませんが、読んでやってください。

1982年の春休みを利用しまして、下関→小郡(新山口)→津和野→萩と非鉄の友人と旅をしました。タイトルは忘れてしまいましたが、NHKの大河ドラマの幕末の志士達の活躍を見て、このコースになったのかと思います。

山口号に乗るまでの道すがら、下関や小郡では、それまで見たことの無かったEF30やEF61を見ることが出来、カマ好きにはたまらない思いをしました。(その辺は後日アップの予定です!)

さて、タイトルのSL山口号ですが・・・それまで見たことのあるSLといえば、静態保存されている公園等のものや梅小路の保存機関車だけだったのですが、ここで復活してくれたおかげで、生きたSLを初めて見ることが出来ました。ただし、復活のおかげで梅小路にC57の展示がない状態が発生したことは、残念で仕方ありません。C62やD51が複数あることを考えれば、貴婦人として人気の高いC57の展示がないことは、マイナスではないでしょうか?ぜひ、どこからかC57を・・・と思うのは私だけなのでしょうか!

話はそれましたが、小郡ではまず客車がホームに着けられ、その後C57が機関区より推進ででやって来ます。そして、客車に連結された姿がこれです・・・


C571 1982.3 小郡駅 CANON AE-1 50mm

1979年に復活した当初は、客車はブルーの12系でした。当時の臨時列車としては、ごく当たり前の客車でしたが、今見ると逆に新鮮ですね。SL自体は、不格好な集煙装置に赤いナンバーと、貴婦人をあまりいじらないで欲しいと思ったのは私だけでしょうか?

そして、津和野までの途中、地福で給水タイムをかねた撮影時間が設定されていました。これは今も続いているのかと・・・


C571 1982.3 山口線地福駅 CANON AE-1 50mm

なかなか人気で、人が入らない写真を撮るのは、結局発車寸前まで粘る必要があったことを覚えています。

乗り心地については、あまり記憶がありません(笑)とにかく、地元でもたまに乗ることがあった12系に乗ったという感じでした。あっという間の旅でしたが、途中中学の友人にばったりあったり(宇都宮から1000km離れた場所でですよ!)と、サプライズもありましたが、楽しく生きたSLを堪能しました。次は走りを撮影すると誓いましたが、それが達成できたのは20年後でした(笑)

余談ですが、その後SL山口号の客車もブルーから茶色にとそう変更され、マイテ49を復活させて連結したり、レトロ調客車に改造したりと変わっています。個人的には、茶色の12系が好きでした。撮影したことはありませんでしたが、KATOのNゲージで、この茶色の山口号セットがでたときにはすぐに入手し、今でも大切にしています。再生産は無理ですかね・・・HOでもやってくれないですかね?今更ですね・・・

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むかしむかし・・・保津峡駅に行った話

2011年11月13日 22時05分11秒 | 鉄道
久しぶりに懐かしものシリーズです!

今思い出しても良く思い出せないのですが、昔何故か山陰線に憧れていた時代がありまして・・・既にDD54もDF50も山陰線からは姿を消していたはずなのですが?普通夜行の「山陰」をはじめキハ181の特急や客車列車など、いろいろな車両(列車)に魅力を感じていたのかも知れません。

シチュエーション的にも、餘部の鉄橋やテレビドラマ「夢千代日記」(ネタが古い・・・笑)の城崎駅など、話題に事欠かないものがありました。そんな中で、是非行ってみたかったのが、保津峡駅でした。鉄道雑誌に載る、保津峡駅を俯瞰する写真と同じ写真が撮りたくてうずうずしていました。

そして、ある時その夢が突然叶うこととなります・・・
それは、高校2年生の時です。(歳がばれますが・・・)そうです、私が通っていた高校の修学旅行は京都だったのです。その中日に、京都班別自由行動が設定されており、これ幸いと、仲間と離れて単独で保津峡に行くことが出来たのです。もう約30年前の話ですから、時効ですよね?(先生スイマセン)鉄道研究部のみんながそれぞれ、自分の趣味にあったところに散っていきました。私は、計画段階では単独飛行機で四国に飛び、まだ残っていたDF50の貨物を撮ってくるなんていう計画を真面目に立てていました。もちろん、時間的にも金銭的にも無理だったので、第2案の保津峡行きとなった次第です。

でっ!当日は京都駅から50系客車の普通列車に乗り、保津峡に向かいました。そして、記念すべきファーストカットがこれです。


50系+キハ47 山陰本線保津峡駅 1982.11 オリンパス?(一眼ではない)

左の50系が私が乗ってきた列車です。京都行きの気動車を待ち発車していきました・・・。あこがれのホームに立ちご満悦の瞬間です。この後、写真右上の道路を上って行くことになります・・・結構しんどかった印象があります(笑)この頃から体力がなかったのでしょうか?

30分くらいでしょうか・・・ゆっくり上って行き撮影したのがこちらです。


DD51 山陰本線保津峡駅 1982.11 CANON AE-1 50mm

DD51の旧客編成がたまりません!確か11月の中頃だと思いますが、紅葉にはまだ早かったようですね。本当に私にとって思い出の場所となりました。

山陰本線も新線に切り替わり、ここにはトロッコ列車が走るようになったようです。一度トロッコに乗って当時を思い出してみたいのですが、なかなか機会に恵まれません。嫁さんには、「ゆっくり京都もいいね・・・」といわれるのですが、その他のローカル私鉄等取りたい場所が沢山ある身なので、なかなか順番が回ってきません!贅沢な悩みですが・・・嫁さんご免なさい!
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岩手開発鉄道運転再開!

2011年11月09日 00時24分03秒 | ディーゼル機関車
その話は11月7日の月曜日に突然やって来ました。

TBSの番組間のニュースを見ていたら、突然見慣れた青い機関車と黒いホキが写っていました。それによると、運転再開がなされたとか・・・当面は運転本数は震災前より少なくなるが、セメント需要の関係で今後は増便するとのことでした。

今回の震災では、大船渡や陸前高田などの被害が甚大であり、まだまだ復旧にはほど遠い状態と聞いていたのでとにかくホッとしました。

復興が最優先であり、とても写真などを撮りに行くといった、軽率な行動は出来ませんが、「いつかは・・・」と思わせてくれるニュースでした。後は、JR大船渡線や三陸鉄道南リアス線の復旧が待たれますが、なかなか厳しい状態のようですね!

2009年に岩手開発鉄道に撮影に行ったときの写真をアップしておきます・・・


DD5653 岩手開発鉄道盛駅 2009.8.29 CANON EOS20D 70-200mm


DD5653 岩手開発鉄道長安寺駅 2009.8.29 CANON EOS20D 70-200mm

岩手開発鉄道では、機関車4両配置ですが普段は2両使用で残りの2両は庫で休んでいます。この日は、正面窓のアールが特徴のDD5653と私の好きなDD5601の2両が運用についていました。途中雨にも降られ大変な撮影でしたが、貴重な記録が出来ました。

職員や運転手の方には大変お世話になり、撮影を温かい目で見守ってもらえました。本当に感謝の心で一杯です。
今回の運転再開の報は、本当に嬉しく感じます。今後も応援させていただきたいと思っています。

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