鶴君の機関車観?(館?)

鉄道大好き!機関車大好き!鶴君のブログです。機関車ネタを中心に旅行あり、B級グルメありの雑記帳です。ご覧ください。

上信電鉄下仁田駅にて

2012年05月30日 23時49分53秒 | 鉄道
週末は出かけると書きましたが、実は久しぶりに温泉へ行ってきました。最近は仕事も忙しく、ストレスの塊と化していたので、ちょっと息抜きに奥様と出かけてきました。

行き先は、お隣の群馬です。いろいろ考えましたが、北関東道が抜け身近になった群馬に決定しました。

当日は、宇都宮を10時半頃に出発し、北関東道-関越道-上信越道と乗り継ぎ、上州富岡で高速を降りました。ここまで1時間半はかかりませんでしたね・・・決して飛ばしてはいません(笑)本当に近くなったと実感しました。
富岡では、富岡製糸工場を見学し、近くで昼飯を取りました。その後、宿の水上まで北上ですが、とりあえず西に10kmほど走り、下仁田を目指しました。奥様には道の駅があるからと、上手く話を丸め込みました・・・

もちろん、私の目的は、上信電鉄の下仁田駅です。奥様もウスウス気づいていたようですが、もう何を言ってもしょうが無いので諦めモードで同行してくれました(笑)

下仁田駅の写真は、いろいろな雑誌で見てきましたが、私はまだ行ったことがなかったので、是非一度はと機会をうかがっていました。高校時代に上信電鉄にはまり、まだデキ牽引貨物が走っている頃にも来たのですが、下仁田までは行かず途中の馬庭付近で撮影をしただけでした。(その頃の写真は後日見つけ出したらアップします!)

さて、夢にまで見た下仁田駅ですが・・・


下仁田駅 2012年5月26日 CANON EOS7D 70-200mm

この写真が撮りたかったのです・・・写っている車両は現代的なものになってしまいましたが、撮りたかったものが撮影でしました。私はてっきり、行き止まりの先に駅舎があると勝手に思い込んでいましたが、実際は写真右手にこじんまりとした駅舎があり、いい雰囲気でした。やはり、百聞は一見にしかずですね!線路配置も模型的で、ついNゲージで再現したくなるようなものでした。
ホームには、パンタ上げ状態の200系編成の他、蒟蒻畑塗装の500系と日野カラーの6000系が停まっていましたが、時刻を調べると、数分で200系編成が発車するようなので、これを撮影することにしました。それが、次の写真です。


クハ304 下仁田駅 2012年5月26日 CANON EOS7D 70-200mm


デハ204 下仁田駅 2012年5月26日 CANON EOS7D 70-200mm

よく見ると、このデハ204-クハ304編成の外観は富岡製糸工場のラッピング車となっていた。さっき見てきたばかりだったので、何か不思議な縁を感じました。このラッピングは、昔見たオリジナル時代の塗装とイメージがさほど変わらず、品があるものでした。

この時、同じ趣味の方が2人ほど撮影していましたが、この列車撮影後それぞれ帰って行きました。私たちも、この後、下仁田の道の駅でソフトクリームを食べ、水上まで高速を走らせました。
この続きは、また次回に・・・癒やし旅か鉄の旅か?!
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快速急行しもつけ

2012年05月26日 09時43分43秒 | 鉄道
この週末は、ちょっと出かける予定があり、手抜きですが身近な(?)話題でお茶を濁します・・・とは言っても、懐かしものネタですが(笑)

さて、タイトルの通り今日のネタは東武鉄道宇都宮線唯一の有料列車である、「しもつけ」のネタです。

この列車は、1988年から運行を始めました。その時は、復活というような話を聞いたような気がしますが、記憶が定かではありません。私の幼い頃は、宇都宮線には優等列車の設定はなく、普通列車のみの運用でした。車両も、私が見た思い出は7800系や3000系などですかね・・・吊り掛け音が気に入って、8000系より好きでした。

「しもつけ」運転当初は、6050系を使用していましたが、1991年から現在の300・350系列の車両となりました。2006年には驚くことに特急列車に格上げされています。

運転当初は、私も東京の行き来によく利用しましたが、急行の割には浅草までの所要時間が長く、現在はあまり使わなくなってしまいました。

今日の写真は浅草駅で撮ったものですが、当時のコンパクトカメラで撮影したものなので、画質が悪いのはご勘弁ください。タイトルの通り、快速急行時代の写真なので、使用は6050系です!(それにしても、ここのホームは20m車が入ると隙間が凄いですね!)


6256快速急行しもつけ 浅草駅 1990年1月8日 OLYMPUS ミュウⅡ

この頃は、あまり東武電車には興味を持っておらず、吊り掛け車など乗ってはいたのですが、あまり撮影などしていませんでした。身近すぎたのでしょうか・・・後悔ばかりです。

スペーシアのスカイツリー色の登場などで、職場近くの日光線でも撮影者を結構見るようになりました。私も久しぶりに、東武の線路際にカメラを持って行きたくなっております・・・!ファイト!
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好きですDD51~小郡で見た858号機

2012年05月20日 00時16分27秒 | ディーゼル機関車
毎日気温が上がり下がりするので、体がついていきません。才なのでしょうが無いんですがね(笑)

仕事も相変わらずで、体が限界に来ています・・・温泉にでも行ってリフレッシュしたいものです。などと、奥様の顔色をうかがい、鉄の計画を立てています!

さて、今日のDD51の写真ですが、本当はお見せできるような写真ではないのですが、恥を忍んで出してしまいます。1982年に山口線の「C571山口号」に乗るために小郡(現新山口駅ですね・・・2003年改称)に行ったときのものです。間にホームをはさんでの撮影なので、下回りは見えないし、運転席のドアは開いているしと、ろくなものではありません。しかし、この写真は私にとってただ1枚の厚狭機関区所属のDD51を撮影した1枚なので、思い出の1枚なのです。お許しください・・・


DD51858 山陽本線小郡駅 1992年3月 CANON AE-1 50mm

たぶん、山口号の入線まで時間があったので、こちらのホームで山陽本線のカマを狙っていたのかと思います。

この時期の美称線の貨物列車は、北海道に住んでいた私にとっては見慣れたセキ6000もしくはセキ8000でしたが、北海道のセキ車は当然石炭を運んでいますので、真っ黒のイメージなのですが、ここのセキ車は写真のように真っ白です。もちろん積み荷が違い、こちらは石灰石なのでしょうが無いことなのですが、私にとっては見慣れない光景が写し込まれており、そういう意味でも気になる1枚なのです。

余談ですが、KATOさんのNのセキ車も、セキ6000が「広」でセキ3000が「道外禁止」仕様になっています。久しくセキ3000の再生産もなく、増備したいのですが手に入れられずにおります・・・

とりあえず、前回の801号機同様の800番台なのですが、この車は1973年に厚狭に新生配置され1987年に廃車と短い生涯を終えています。この頃は、あまりDD51に興味が無かったとは言え、残念な写真です。となりの首都圏色のキハも撮影していませんし、今見ると何をやっていたのかと、自分に呆れるばかりです。もう一度、この時に戻り撮影し直したいと思うのは私だけでしょうか・・・
コメント (2)
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ザ・トップナンバー 好きですDD51~貨物用801号機

2012年05月12日 13時01分51秒 | トップナンバー
GWが終わると仕事の山が・・・休んだ分の仕事が溜まっており大忙しの1週間でした。疲れました・・・そんな訳でブログの更新もいつものペースに戻ってしまいました(笑)

そんないい訳は置いておいて本題に・・・

今回のDD51ネタは貨物用SG無しのトップナンバー801号機です。
このカマは、1968年8月に郡山に新生配置され、磐越東線や磐越西線の貨物列車を中心に活躍していました。末期は、高崎に移動し1987年2月に廃車になっています。高崎での活躍は、八高線の貨物運用など、ごく短い期間だと記憶しています。

さて、この801号機ですが、私が撮影した記録を確認してみると1987年4月となっていますので、廃車となりすぐということとなります。この時は、高崎第2機関区から駅に戻ろうと線路際の路を歩いていると、数人の運転士さんが研修をしている姿が目に入りました。使っている車両を見ると、当時話題になり始めた準お召し仕様のDD51842号機と、この801号機、そして20系気動車を並べて行われていました。その時、道路側から撮影していると、研修中の方から「中に入って撮影してもいいよ!」と声をかけて頂き、中で撮影させて頂きました。しかし、恥ずかしながら中で撮影した写真は842号機ばかりで、801号機は道路から撮影したこの1枚しか撮っていなかったようです(笑)今考えるともったいないことをしたものです・・・この時代は情報が無く、801号機が廃車になっているとは全然知らずにいたので、しょうがないのですが!


DD51801 高崎機関区 1987年4月 CANON nF-1 50mm

私にとって801号機との出会いは、これ1回きりですので貴重な撮影となりました。
この日は、たぶん・・・機関車館みたいなものが造られるのではないかという話から、高崎にDD511号機やDD53などが集められているというネタを知り、高崎に見に行ったのだと記憶しています。この時のネガには、ボロボロの1号機の写真なども記録されています。

結局、それらの車両達は、高崎ではなく横川に展示されることとなりました。801号機もしばらくはその姿が機関区で見られたようですが、結局かいたいされてしまいました。やはり貨物機というのはマイナーなのでしょうかね?残念です。
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好きですDD51~山陰の1187&1183の出会い

2012年05月04日 12時23分19秒 | ディーゼル機関車
GWも後半に入りましたが、私は例年のごとく家でおとなしく過ごしています。だって、どこへ行っても滅茶苦茶混んでますから・・・。嫁さんも仕事だし、実家の母親は体調崩して寝込んでいるし・・・結構やることがあるもので。

さて愚痴はそれくらいに、前回の続きで山陰のDD51をアップします。

前回の松江での撮影後は、一畑電鉄へ回り、一畑電鉄の完乗と出雲大社詣でを楽しみました。これがきっかけで、一畑電鉄に興味を持ち、この後数回一畑電鉄を目的にこの地を訪れることになりました。(これもおTOMOX様の影響大(?))

その夜は松江駅前に宿を取り、松江でバルブと思っていましたが、上りはホームぎりぎりで停車のため、まともには撮影できませんでした。事前学習をしないからこうなります・・・でっ、そのリベンジに翌朝の「出雲」は米子で迎えることにしました。ご存じの通り、米子は機関区もある大きな駅で、EF64も撮影できました。

では、米子で出迎えた山陰のクイーンです。後藤総合車両所の1187号機でした。


DD511187「出雲」 山陰線米子駅 2006.1.21 EOS20D 24-105mm

跨線橋の文字が気になりますが、米子と判るので良しとしました。
すると、ここでハプニングが!私が撮影しているホームに入線案内が・・・後ろを振り返ると、そこにもDD51の姿が見えてきました。ビックリです!


DD511187「出雲」+DD511183 山陰線米子駅 2006.1.21 EOS20D 24-105mm

同じく後藤総合車両所の1183号機がやって来ました。2両のDD51はホイッスルで軽く挨拶していました。1183号機は貨物列車ではなく、14系改造のリゾートトレインを牽いてやって来ました。


DD511183 山陰線米子駅 2006.1.21 EOS20D 24-105mm

この2日間で見た、後藤総合車両所のDD51は、皆綺麗な車体で、「出雲」を牽引するにふさわしいカマでした。本当に山陰のクイーンの言葉がうなずけました。客車「出雲」の廃止を2ヶ月後にし、これを撮影するファンもちらほらいましたが、まだ東京駅とは違い激混みではなく、まったりとした時間を過ごすことが出来ました。

思いつきで出かけた撮影でしたが、自分としてはDD51「出雲」も撮影できたし、一畑電鉄の魅力にも触れたしで、有意義な時間となりました。一畑の話は、また後日に報告しますので・・・

さて次はどこのDD51にしましょうか?(笑)
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