富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

日本銀行「株式買入基本要領」の一部改正:日銀の危機感(校正済)

2018年12月21日 | Weblog

日本銀行が、これまで「信託銀行」に限って、委託業務を行っていた株式の買い入れの委託業務を、日本銀行本店の当座預金契約のある市中銀行にも門戸を開き、さらに入札制に移行し、業務をテクニカルに、迅速に行える体制の移行した。これは形式では「一部改正」とはいうものの、内容では、タイムリーに市場介入することと、株主の権利行使に関して、受託者が代理行使することを明記した。ここから、日銀が頼りにした信託銀行の日本株のオペレーションに重大な業務ミスがあったことを意味している。このような狼狽する窮状への対応をみると、第2波の大量購入という市場介入を準備することで、日経平均2万円台の維持を目論んだとみられる。ただ、そうした施策で売り圧力に耐えられるか疑問であるが、「信託銀行」がヘッジ用の信用反対売買を2万5千円前後で充分に仕掛けていないので、日銀としては、テクニカルには、国際水準一流のトレーディング体制が取れていなかったことがここへきて露呈してきた。それで、オペレーション能力あるメガバンクを巻き込んだ形で、買い入れと同時に、現水準でのヘッジ売りを並行させることで、18000円以下で仕込んできた利益が目減りしないように、さらにテクニカルな対応をしてきた。このようなことから、日銀の景気判断は、2019年は前年比でかなり厳しい下降線を見込んでいるといえる。制度的に、こうした情報を公開しないで操作しないと、僕みたいな素人にも分かる対処がなされ、中央銀行としての賢明さがもともと存在しないという弱みを暴露したことになる。

 このブログでは、日経平均で18000円割れをすでに予想している。すでに、企業の人材需要も一部では縮小気味に反転し、中位レベルの大学生の就活は厳しくなると想定できる。中国リスクが、さらに本格化し、構造的に世界経済規模のダウンサイジングが始まる。そこから、新たに非常に一時的な急反発で2万円台を回復するが、17000円台での底値を確かめる動きに転じる。含み益が失われ、心理的な収縮により、どの国も、どの企業も独り勝ちする余地は狭まるが、比較的に景気に鈍感な産業を軸とする産業構造をもつ富山県の場合、その現れ方は少し違ってくる。


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リカレント教育のツボ「気づき」(3)

2018年12月21日 | Weblog

 森富山市長が、接客が弱いひとを異業種の出向させ、リカレント教育をしているという。その逆に、接客はいいのだが、仕事のシステム化が弱い人を鍛えるのに、市役所は現場をリカレント教育のために開放するべきである。図書館、美術館などは、最適のリカレント教育の場になる。これは、県庁でも同じである。産学官の共同というが、研究者の僕が、企業系の経済研究所で勉強し、企業の人事採用の実務を経験した65歳からからの12年間は、教員37年間の硬直した思想を破壊してくれた。僕は、バカであるが正攻法である。きちんと、自分で自分をリカレント教育した。富大でオープン・クラスで学んだから、富山大学の教育の改善を提案できる。そうして、自然に学んでくれた学生が、富山市の市政にも、富大と地域とのかかわり方もにも少し、少し変化を与えてきている。他府県から富山に来て、富山を好きになった学生たちが、いよいよそのためのクラウド・ファウンディングにとりくみつつある。つまり、特別な座学ではなく、異業種体験により人間は変わる。リカレント教育は、企業と企業、企業と官庁との間で、3年間の異業種での類似体験で学べる。あまり極端な職種変更ではない。こうした企業間の信頼関係がないとしたら、富山には産業界がないということになる。特殊に、リカレント教育の「折箱」に入れるのは良くない。それは、精神科での治療対象であるからだ。やる気があるひとにしか、クスリは効き目がない。それが、マネジメント学の知恵である。ただし、中央官僚はそれなりに賢いバカだから、リカレント教育の配分予算は、富山方式で賢くだまし取りたいものである。その一つが、仮想の「製薬工程管理」を媒介とする同業ないでの類似の経験交流である。3年間、リードケミカルから東亜薬品へ、あるいは、その逆で働くと、相互の長短が見えてくる。その意味で、一番大事な薬業に予算を集中したリカレント教育に成否をかけ、知恵を絞るべきである。


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リカレント教育のツボ「気づき」(2)

2018年12月21日 | Weblog

孔子、大野耐一、ゴールドラット、それぞれに先行する偉大な業績があった。孔子においては、斉の桓公と宰相の管仲の偉業である。大野耐一さんには、ライン生産のフォードである。ゴールドラットは、大野耐一さんのトヨタ生産方式である。孔子をConライン、大野さんをOhoライン、ゴールドラットをGolラインとすると、この3つのラインが繋がらないのは、渋沢栄一さんが「論語と算盤」というあまりにも見事な象徴技法を用いたためである。孔子の「論語」は、90%以上も管仲と祖をする斉魯学派の教材であって、孔子のオリジナルは「大学」という口述の論文に進化系がみられるに過ぎない。他方、「算盤」と言われながら、日本の場合、貸借対照表の思考と生産工程に関わる工業簿記とが分離し、「記号としての利益」計算を突き詰めらなかった。渋沢さんの「論語」理解の限界と、「算盤」理解の限界(貸借対照表の現れる「純利益」)が解析されていない)ので、それを超える新しい理論が、いきなり大野さん、ゴールドラットさんから適されたために、戦後日本の経営が、伝統的な人格倫理主義への回帰か、新自由主義を矮小化した「金銭崇拝」かという2大分裂に堕ちった。例の日産のゴーン氏の成功報酬に対する文化衝突は、そのことを代表している。こうした日本企業の戦後的な未解決問題こそ、出来るのにやる気を奪った原因なので、はじめからできない人材が現場で、ダメ人間になったからといって、リカレント教育をしてもダメなのである。ゴミはゴミにすぎない。それは、家庭と教育の問題であり、企業が背負い込む問題ではない。要は、やる気があり、能力があるひとが、ゲームの全体像の見失うからリカレントが必要なのだ。横パスを出したり、勇気をもって単独で前進するというあのラグビー感覚をいかに身に着けるかである。神戸製鋼は、あまりに惨めすぎる。生産現場が裁判で虚偽のデータ改ざんで罪を問われながら、社会人ラグビーでは、日本一となる快挙、この落差こそ学ぶ必要がある。

 

 


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リカレント教育のツボ「気づき」(1)

2018年12月21日 | Weblog

リカレント教育というのは、説明変数なのか、目的変数なのか、おそらく、「現場」での落ちこぼれに再挑戦の機会を与えるという企業における部分最適として意識されているようだ。しかし、企業の目的を全生涯の人格の完成を目的変数とすると、経営の最高責任者の「リカレント」が基本となる。勝ち組、負け組の振り分け構造は、幼児期から大学院まで経験させられる。企業は、基本、負け組か、負けを避けた人材で構成される。ノーベル賞を受賞する京都大学では、その何千倍もの「勝てなかった」教授が存在する。

体験を挙げる。私は、中国近現代という中国大陸での歴史事象を扱う学問を専門としている。その論文を最終製品とすると、製品形態は、著書、論文の形となる。問題は、その先に読者が存在する。最終需要者にとり、何が必要なのか?そこから、発想すると、歴史の研究の目的は、日中関係という政治外交に影響を及ぼし、日中の互恵を生み出すことにある。それは、歴史研究は方法であって、目的変数ではない。つまり、社会科学の主な推進力でありブレーキでもある経済学、経営学の分野の進化に寄与するものでなくてはならない。歴史家が、いわゆる歴史ものとして著作がうれるような司馬遼太郎をめざしてはいけない。なのに、その愛読者をめがけて、明治維新史から坂本竜馬の役割を抹殺する「考証バカ」に多くの勢力が費やされる。また、それを批判するバカも登場する。

歴史学が科学であるためには、基本、哲学という人間による人間の自己認識の革新という具体事象に、個々人が「現場」からいかにくみだすのか、そこにかかっている。我々の聖書は、3つある。まず、大野耐一さんの「トヨタ生産方式」ダイヤモンド社、さらに、ゴールドラットの「ザ・ゴール」である。後者は、劇画版まである。そのうえで、『論語』の衛霊公篇、季氏篇などを押さえる。現代では、普遍の哲学はなく、「現場」「現場」「現場」ごとの部分最適の部署別役割の思想を超え、最終の最適、全社会的な循環構造にゆきつく。トップが自己肯定して切る限りは、先は読めない。

 


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