富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

神の摂理か、仏智か

2018年12月03日 | Weblog

僕が大嫌いなのは、無印を装う人たちの欺瞞だ。キリスト教徒たちの神の摂理に従い、遺伝子操作を認めないというにのは、新たな暗黒時代、魔女狩りの思想である。仏教は、仏智により、苦を取り去る遺伝子操作を許容する。儒教では、賢と能という「先天資質と後天努力」のヒトに天下の公務を委ねるという立場を貫く。日本の場合、洗礼をうけたキリスト教の教徒という大前提で、僕と論争してほしい。「遺伝子レベルで治療できる」ならば、不幸の種を取り去った方がよい。それは、社会からのサポート費用の軽減という意味ではない。そういう他人が他人とコメントする経済社会論ではない。どんな生命にも、喜怒哀楽の感情があり、愉快に時間を過ごしたいと思う自由権がある。知的障害の自己にもどかしさを感じる方があるとすれば、生まれるまえに原因を除去しておいてくれたらと思う。特に、身体の器官の不自由には、神の摂理を犯すという議論は、学問人としてするべきでない。「論理学」は万人のもの、「倫理学」は万人のものとは言えないことろに、人類の時代限界がある。


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僧侶に頼らず、先祖の声を聴く:図書館にお詣りしよう

2018年12月03日 | Weblog

晩年は、「論語」、孔子学と孫文学を勉強しようと決めていた。それは、父方の先祖が兵庫県の豊岡藩の藩学の儒者であったと分かったからだ。それは、「生まれながら資質」は遺伝するからだ。不思議に僕の従妹も、大阪大学文学部・大学院文学研究科の卒業生である。何世代かののちに現れるらしい。彼女は、日本にはいない。アメリカの日本学者の妻として、夫の日本研究を英訳の面でサポートしている。先祖は粋なことをするもんだ。父方の祖母が、そういう遺伝をもつ家系だったようだ。ただ、近親結婚が避けられていないので、知的障害が思わない形で出てくる。不思議なもので、そういう障がい者に家には、金銭的に不思議な幸運と勤労のたまものとして「財産」ができる。しかも、その子のために下手に財産分割しない。こうしてみると、「天」から先祖は子孫を守ってくれている、と考えるのも悪くない。同時に、諫めるために罰してくれることもある。富山では、お墓がいやに大きいが、先祖の声を聴く耳があれば、内省につながる。内省こそ、自己のエンジンであると知るなら先祖と心のなかで語ると良い。同時に、孔子は自己の先祖でもないのに祭るのは良くないという。これは、宗教の問題である。学問では、他人のご先祖の声を聴くのも悪くない。そうした墓標が、図書館である。富山市立図書館、正月の三が日から開館するそうだ。どうか、人類の先祖の声を聴くために、「図書館にお詣り」してください。ただし、飲酒して来館されないようにね。


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12月2日(日)のつぶやき

2018年12月03日 | Weblog

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