いわゆる識者の予想が外れるのは、いわゆる「自由主義」経済社会が、不完全だから生じる変動という静態構造論を下敷きに論じるからである。もともとの地盤が不安定であるという前提だから、悲観論にマッチする現象が出てくると、すぐに赤信号を灯す。では、社会主義経済社会は、権力闘争という想定外の内部波乱要因を含むが、総体的に安定とみるから、楽観論に傾く。同時に、これと全く逆に、自由主義の自然調整の確実性に確信をもつ哲学から議論すると、悲観論は為にする議論として避けられる。同時に、社会主義の経済社会には悲観論が基調となる。このように、土台となる静態構造へのスタンスの違いが組み合わされると、楽観×楽観という組み合わせも、悲観×悲観という組み合わせも、確率としては4分の1づつとなる。悲観と楽観との組み合わせは2分の1となる。つまり、楽観と悲観とは、つねに均衡しているが、ときに、どちらかに傾くのは、変動要因を考慮しない、もともと悲観派か、もとからの楽観派かの固定した見解のどちらかが、楽観と悲観との組み合わせのどちらかに加重されるので、風評のように根拠が薄いにもかかわらず、劇的な悲観からくる抑制論からの「下振れ」、爆発的な享楽への傾斜という「上振れ」がでてくる。このいずれもが誤りであるのは、波動する上下動のなかで、10年くらいのスパンできると、ほとんど上下動しない平均移動曲線が見つかる。歴史分析とは、それを読みこなすこすことで、悲観論も、楽観論も、自然の揺れと考えると、「中和」する均衡点がはじき出されていく。
富山県の人口数の移動予測も、より細やかな産業分類別の「職能」者の「資産勘定」方の社会移動と、高齢者という非生産人口の減少による「社会保障負担勘定」方の減債効果とを見きわめると、「中和」点が見つかるはずである。