座間コミニティー

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「しかし、人が主に向くなら、

2015年09月17日 17時24分24秒 | 聖書

ふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった」(ルカ24:18)

二人の弟子達は目がさえぎられていた、とある。
そのため、かたわらを歩いておられる方が主イエスだとはわからなかった。
なぜ、わからなかったのか。
御言葉によると「信じない、心の鈍い人たち」とある。
「不信仰」が目をさえぎっていたと。
復活を信じない彼らは、主が死んでしまったと、深い失望と落胆の中にあった。
悲しみもあった。
私達も失望、落胆の中にいる時、主が全く見えない。
真っ暗だ。「失望」とは主に期待をしない、主を見限った不信仰だ。
主には不可能とする、不信仰は私達の心をふさぎ、主を見えなくする。
又、「自己憐憫」は自分の殻にこもり、主をシャットアウトするので、ただ見えるのは自分だけだ。
又、「思い煩い」も目がさえぎられる。
主を閉め出し、不安に支配され、山の心配だけが見えて、主が見えない。
「多忙」も目の前の事に心が捕らわれてしまい、主を認める事をさせなくする。
あなたも今、目がさえぎられているか。
障害物に気づき、悔い改めよう。
それを取り除けて頂こう。
今もあなたのかたわらに主がおられる。
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主に期待しない、信じようとしない頑なな不信仰は全く主が見えず、真っ暗闇の中だ。
主を信じようとする時、平安が来て、すぐかたわらにおられる主が見えて来る。


今日の聖人の記念日

2015年09月17日 05時38分36秒 | 聖書

聖ヒルデガルト修道女

1098年-1179年

 ヒルデガルトは、ドイツのベッケルハイムの貴族の家に生まれ、福者ユッタがいるベネディクト会の修道院で教育されて、1116年にこの修道会の会員となった。36歳のときに、ユッタの後を継いで修道院長になった。彼女は、幼いころから神秘的な体験をし、司祭からも勧められて『Scivias』(道を知る者)という書を著わした。また、教皇からも彼女の示現(ヴィジョン)は真正なものとして認められた。

 1147年に、18人の修道女とともにビンゲン近くのルペルツベルグに修道院を移し、大きな修道院に発展させた。ヒルデガルトは、会の修道女を導くとともに、国王や聖職者たちに手紙を書いたり、貧しい人びとや病人の世話をしたりするなど、ドイツ各地を巡って人びとの信仰を鼓舞し、大きな影響を与えた。

 彼女は、ドイツにおける最初の女性神秘家であり、科学的視野のある博物学や医学について著作し、聖人伝や賛美歌などを作った。

聖ロベルト・ベラルミン司教教会博士

1542年-1621年

 ロベルトはイタリアのモンテプルチャーノで10人兄弟の3番目に生まれた。彼は、教皇マルケルス2世(在位1555年に即位して、3週間後に急逝)の母方の甥にあたる。ラテン語に堪能でバイオリンを弾くなど、才能に恵まれ、1560年にイエズス会に入った。パドバで神学を学んだ後、1570年に叙階され、ベルギーのルーヴァンでトマス・アクィナスの『神学大全』を教え、有名な説教家となった。このころロベルトは、神の恵みと人間の自由意志の問題について、人間の意志の努力によって徳を積み、救いに達しようというペラギウス的発想を唱えた、ベルギーの神学者、バイウスと対立した。プロテスタントの宗教改革者たちとの論争に備え、教会史、教父学、聖書学を研究し、体系づけた。その後彼は、1576年にイエズス会のナポリの管区長になり、1598年、クレメンス8世のときに枢機卿になった。彼は、神学者として公教要理をまとめて教会に大きな影響を与える一方、貧しい人びとを援助するために、自らは質素な生活を営んだ。

 優秀な学者であった彼は、ベニスでの反聖職者勢力との争い、そしてプロテスタントであるイギリスのジェームズ1世との対立の際、「教会と国との関係において、権威は、民衆のなかにあって、神から与えられたものである」と主張し、使徒座を擁護した。思想上、ロベルトはプロテスタント神学者たちと対立したが、彼らのために熱心に祈り、個人的に非難することはなかった。
 トレント公会議でヴルガタ訳聖書の改訂版が完結することが望まれ、ロベルトは最終委員としてたずさわった。

 彼は、霊的指導者として聖アロイジオ・ゴンザガを助け、聖フランシスコ・サレジオが聖フランシスカ・ド・シャンタルと設立した「聖母訪問修女会」が、聖座から正式認可されるために、尽力した。

 晩年には、信心や教訓的な多くの著作を残し、1621年に亡くなった。


第1歴代誌16章1-7節

2015年09月17日 05時37分20秒 | 聖書


16:1 こうして、彼らは、神の箱を運び込み、ダビデがそのために張った天幕の真ん中に安置した。それから、彼らは神の前に、全焼のいけにえと和解のいけにえをささげた。
16:2 ダビデは、全焼のいけにえと和解のいけにえをささげ終えてから、主の名によって民を祝福した。



 多くの人々の喜びの中、神の箱がレビ人達によって運ばれ、ダビデの町の中でダビデが設置した天幕の中に、神の箱が安置されました。

そこで祭司たちは儀式を行い、神の前で、全焼の生け贄と和解の生け贄が献げられました。

自分たちの献身と神さまから与えられる罪の赦しに基づく交わりを求める、犠牲の儀式でした。

このようにして、神の前に自分たちが主の民として生きることが出来ることの喜びを示したのです。

ダビデはこの喜びを民と分かち合うために彼らを祝福し、同時に、彼らに丸型のパン、なつめやしの菓子、干しぶどうの菓子を分け与えました。

一緒にこのことを感謝して、共に主の民として、主を喜ぼうという思いがあったからです。


◆心 の 成 熟 度

2015年09月17日 05時35分09秒 | 聖書

あなたは訓戒に意を用い、
知識のことばに耳を傾けよ。    (箴言二三12)
 
聖書を直訳せず、現代の話しことばに分かりやすく言い替えて訳した聖書が、『リビングバイブル』として、世界中で爆発的に読まれ、親しまれています。もとになっている英語版は、私の古い友人、アメリカのケネス・テイラーさんの苦心の作です。そのリビングバイブルによると、このことばを、こんなふうに訳しています。「批判のことばを受け入れるのをこばんではいけない。できるかぎりの助けを、自分のものにせよ」(英訳)。
私が青年のころのことです。今から思うと、若気の至りで、大人の目から見ると危なげな振舞いをしていたのでしょう。私に近しい年長の人が、私についての批判や忠告のことばを、私の尊敬している先生のところに手紙で告発したことがありました。手紙を受けとった先生は、「私はあなたを信頼していますし、そんなことはないと思います。あったとしても賢いあなたのこと、すぐ、そこから離れるでしょう」と言ってきてくださいました。これには感激して、私自身、深く反省し、姿勢を改めました。しかし、その手紙を書いた先輩をなかなかゆるすことができず、私は、彼に近づかなくなりました。そのことは、長い間私の心のしこりとなりました。
しかし、いま思うと、その告発してくれた方を逆うらみする資格も、私にはありませんでした。逆うらみした私の愚かさ・未熟さ・罪深さを、今さらながら思うのです。
「人のことばとしてではなく、神のことばとして受け入れてくれてありがとう」(Ⅰテサロニケ二13参照)と、テサロニケの人々にパウロは書いています。批判のことばを神のことばとして受けとれる。――ここに、人の心の成熟さが表れるのではないでしょうか。
 
 

◆その子をわたしのところに連れて釆なさい。

2015年09月17日 05時34分04秒 | 聖書
(マルコ九・一九)
 
弟子たちに失望した父は、主に泣きついた。子どもが最悪の状態にあり、すべての手段は失敗した。しかし、「その子をわたしのところに連れて来なさい」との主のみことばに従ったとき、子どもはただちに悪霊から救われた。
子どもは神が与えてくださる尊い賜物である。しかし多くの心遣いが伴う。子どもは両親の大きな喜びであるが、心痛の種となる場合もある。子どもは御霊に満たされるか、悪霊に満たされるかのどちらかである。いずれにせよ、「その子をわたしのところに連れて来なさい」との神のことばは、すべての病をいやす。
子どもがまだ乳飲み子である間に、もっと心を砕いて彼らのために祈ろうではないか。彼らはすでに罪をもっている。それゆえ祈りによってそれを攻撃しようではないか。子らに対する私たちの叫びは、彼らが罪の世に出て行く時を告げる叫びに先立たなければならない。彼らの青年時代には、もはや正しく祈ることも、神のみことばをたましいに聞くこともできなくなるという悲しい事実を私たちは見る。しかしなおイエスは、「その子をわたしのところに連れて来なさい」と命じられる。彼らが成長した時、彼らは罪にまみれ、神に敵対するようになるかもしれない。このような時、私たちは断腸の思いで悩むが、なお「その子をわたしのところに連れて来なさい」との偉大な医者のみことばを想起すべきである。彼らの呼吸の続く限り、私たちは決して祈りをやめてはならない。イエスが生きておられる限り、絶望ということはない。
主は時々その民を窮地に落とし、主が彼らにとっていかに必要な方かを、実際的に知らしめられる。不敬虔な子らの堕落が私たちの手に負えなくなった時、私たちは力を得るために全能者のもとに逃れる。そして、それは私たちにとって大いなる祝福である。
私たちの悲哀をただちに取り去ることが、イエスには可能である。主は私たちを慰めることを喜ばれる。主が私たちを待ってくださる間に、急いでみもとに行こうではないか。
 
 

9月16日(水)のつぶやき

2015年09月17日 01時46分05秒 | キリスト教