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今日の聖人の記念日

2015年09月16日 08時21分24秒 | キリスト教

聖ニニアノ司教

360年ごろ-432年ごろ

 ニニアノは、イギリスのカンブリアの族長の家に生まれた。

 洗礼を受けた後ローマに行って学問を修め、アングロ・サクソン人たちへの宣教をしようと決心した。394年に教皇によって司教に叙階された。イギリスへの帰路、トゥールの聖マルティノと出会い、彼の影響を受けた。

 帰国後、ホイットホーンに自分の司教区を作り、石造りの教会を建てた。後にその教会は「白い家」と呼ばれて有名になり、マルティノが亡くなったとき彼にささげられた。ニニアノは近くに修道院を建て、グランビアンに住むピクト人たちが偶像崇拝をやめ、真の信仰を受け入れるように説いて各地を回った。この修道院は、6世紀にアイルランド人修道士たちのための霊性教育センターとなった。

 彼は、ホイットホーンの使徒、またピクト人の使徒と呼ばれている。

 聖コルネリオ教皇

?-253年(在位251-253年)

 聖コルネリオはカルタゴ(現在のチュニジア共和国)に生まれた。キリスト教徒ではなかったが、成人してから洗礼を受け、司祭への道を志した。後に叙階され、249年ごろ、カルタゴの司教になった。謙遜で善良なコルネリオは、デキウス帝の迫害によって苦しむ信徒たちを心にかけ、司教として励ました。250年1月20日に教皇ファビアノが殉教し、14ヶ月後、コルネリオが教皇に選ばれた。

 コルネリオの在位中、「大罪のゆるし」と「迫害のときに棄教した信徒の教会復帰」が問題となった。コルネリオは「司教によれば、大罪をゆるすことができる」と主張し、カルタゴの司教チプリアノがこれを支持した。しかし、ノヴァティアヌスはコリネリオの主張に反対し、自らが教皇であると宣言した(対立教皇)。

 251年、コルネリオはカルタゴに司教たちを集め、棄教者がゆるしの秘跡を受け、償いのわざを行えば教会に戻ることができることを確認した。これによって、ノヴァティアヌス派は排斥された。

 同じ9月16日に記念するチプリアノ司教は、教皇コリネリオをあらゆる面でよく助けた。チプリアノは、教会が一つであるために、使徒ペトロの後継者である教皇のもとに、司教、信徒たちが一致することの大切さを強調した。

 デキウス帝の死後、ペストが流行し、民衆の不満は、キリスト教徒に向けられた。そのため、トレボニアヌス帝もキリスト教を弾圧し、コリネリオは捕らえられた。彼は、追放されたチェントゥリチェッレ(現在のチヴィタヴェッキア)で253年に亡くなった。

聖チプリアノ司教殉教者

?-258年

 聖チプリアノは、カルタゴ(現在のチュニジア共和国)に生まれた。彼は高い教育を受け、修辞学の教師、弁護士をしていた。貧しい人に持っているものを施し、洗礼を受ける前から、貞潔の誓いを立てていた。254年、彼は洗礼を受け、2年後司祭に叙階され、その後カルタゴの司教になった。

 当時、デキウス帝の迫害で棄教したキリスト教徒が、教会に戻ることが問題となった。教皇コルネリオは「司教によれば、大罪をゆるすことができる」と主張し、チプリアノがこれを支持して、ノヴァティアヌス派に対抗した。また、ノヴァティアヌスによって分裂した教会で受けた洗礼について、チプリアノはその有効性を認めなかった。

 チプリアノ司教は、同じ9月16日に記念する教皇コリネリオをあらゆる面でよく助けた。チプリアノは、教会が一つであるために、使徒ペトロの後継者である教皇のもとに、司教、信徒たちが一致することの大切さを強調した。

 ウァレリアヌス帝(在位253年-260年)の迫害のとき、チプリアノはチュニジアのコルバに追放され、投獄された。258年、「神に感謝」ということばとともに、斬首によって殉教した。彼は優れた著作家でもあり、『主の祈りについて』『善行と施しについて』などがある。


第1歴代誌12章16-18節

2015年09月16日 08時20分24秒 | 聖書


12:17 「そこで、ダビデは彼らの前に出て行き、彼らに答えて言った。「もし、あなたがたが穏やかな心で、私を助けるために私のもとに来たのなら、私の心はあなたがたと一つだ。もし、私の手に暴虐がないのに、私を欺いて、私の敵に渡すためなら、私たちの父祖の神が見て、おさばきくださるように。」



 ダビデの下には、強力な勇士達のみではなく、種々の部族の中からやって来る普通の人々もいました。

皆ダビデの下で、彼に仕えることを求めて駆けつけた人々です。

しかし、それらの集まった人々が、本当にダビデのことを思って彼の味方としてきたのかということは、ダビデ自身には判断の出来ないことでした。

そこでダビデは、彼ら自身の真意を知るために神に訴えました。

つまり、彼らが偽りの思いで加勢に来たのであれば、神御自身がその人々を裁かれますように、と告げたのです。

 私たちには、人の心のすべてを知ることは出来ません。

従って、人々の心を知るためには、「神さまに委ねる」ということしかないのです。

しかしそれが大事なのです。


◆いのちの種と土地

2015年09月16日 08時18分31秒 | 聖書

愚かな者に話しかけるな。
彼はあなたの思慮深いことばをさげすむからだ。(箴言二三9)
 
「猫に小判」「馬の耳に念仏」「豚に真珠」などと、動物たちには気の毒ですが、洋の東西を問わず、同じようなことばがあるものです。どんなにすばらしい知恵のことばや、いのちのことばの種がまかれても、受け入れる心の土壌が整えられていなければ、むだだというのです。
イエス・キリストは、有名な種まきのたとえの中で、こう話されました。「種を蒔く人が種蒔きに出かけた……。」昔、イスラエルでは畑に畝を立てず、パアッパアッと種をばらまきました。ある種は、踏み固められた道端に落ち、たちまち鳥についばまれてしまいました。もちろん、芽は出ません。ある種は、土の少ない岩地に落ちて、すぐ芽が出ました。しかし根がないために、日に照らされてその芽は枯れてしまいました。ある種は、いばらの土地に落ちて生え、いばらにさえぎられて、ひょろひょろになり、実を結びませんでした。最後に、よく耕された土地に落ちた種は、生え育って、三十倍六十倍百倍の実を結んだという話です(マルコ四2―9参照)。
世の力や悪魔が土足で出入りしている心は、無関心な心というか、道端のようです。次に、すぐ熱しますが困難や迫害に会うと冷めてしまう心は、岩地のようです。また、いばらの地は、この世の心遣いと富のまどわしに邪魔されている心です。そして、深く耕された心は、掘り起こされ、くだかれた心です。柔らかにされて、神の種と雨と日の光を待ち望んでいます。神のいのちのことばが、こんな心に深くまかれるなら、やがて実を結ぶのです。
 
 

◆あなたがたが……

2015年09月16日 08時17分40秒 | 聖書
神のご性質にあずかる者となるためです。(Ⅱペテロ一・四)
 
神のご性質にあずかるとは、もちろん神になることではない。そのようなことはあり得ない。神の本質は、被造物の関与できないものである。被造物と創造者の間には、絶えず本質的な深淵が横たわっている。しかし最初のアダムが神のかたちにかたどって造られたように、私たちも聖霊によって生まれ変わることにより、いっそう尊い意味において、いと高き方のかたちに似、神のご性質にあずかる者となる。私たちは恵みにより、神に似たものとされる。
「神は愛です。」私たちもまた愛とされる。「愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。」神は真理である。私たちもまた真実な者となり、真理を愛するに至る。神は善である。そして神は恵みによって私たちを善なる者とし、私たちを清い者とせられ、神を見ることを得させられる。
しかしこれよりさらに高い意味において、私たちは神の性質にあずかる者となる。それは、絶対に神のようになり得ない私たちにとって、考え得る最高の意味においてである。私たちはキリストの神たるご人格の肢体となるではないか。かしらを流れるのと同じ血が手にも流れ、キリストを生かすのと同じいのちがその民をも生かす。「あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてある」のである。否、これだけではまだ十分でないかのように、私たちは主と結婚する。主は義と真実をもって私たちと婚約された。そして主につく者は主と一つの霊になる。
なんという驚くべき恵み! いったいだれがそれを会得できよう。イエスと一体になる――枝がぶどうの幹につながって一体となる以上に、私たちは主の一部分となる。これを私たちは喜び、さらにこう心に銘記しようではないか。神の性質にあずかる者は、人との交際の中に、いと高き聖なる方との関係を表し、日々の歩みと会話の中に、肉の世の腐敗から逃れ出た者であることを明らかにすべきである、と。
ああ、さらに聖い生活を望みたい。
 
 

9月15日(火)のつぶやき

2015年09月16日 01時46分51秒 | キリスト教

◆その人は悪い知らせを恐れず……。 goo.gl/uDO1ms


「あなたの先祖たちの知らなかったマナを、あなたに食べさせられた。 goo.gl/Gw8vhl