座間コミニティー

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◆どんなときにも、

2015年09月01日 16時18分21秒 | 聖書
神に信頼せよ。(詩篇六二・八)
 
信仰は、霊的生活における規則であるとともに、この世の生活の規則でもある。私たちは天上の事と同じように、地上の事についても神にある信仰をもつべきである。この世を超越して生きるのは、私たちが日々の必要の供給について、神に信頼することを学んだ時である。私たちは怠惰であってはならない。怠惰は、常に働いておられる神に信頼せず、怠惰の父である悪魔に従っていることを示すものである。私たちは軽率であったり、向こう見ずであったりしてはならない。それらは偶然に信頼することであり、摂理と秩序の生ける神に信頼することではない。思慮深く、正しく行動しようとするならば、単純に、全面的に、常に主により頼まなければならない。
この世の事においても、神に信頼して生活することをお勧めしたい。神に信頼しているならば、富むために罪深い手段を用いたと嘆くこともないだろう。節操を堅く守って神に仕えよ。そうすれば、あなたは成功しないとしても、罪があなたの良心に住みつくことはないだろう。神に信頼すれば、自己矛盾に陥ることはないだろう。自分の技能という舟を信頼する者は、風に吹き回されてどこへ行くかわからない。しかし、主に信頼する者は蒸気船のようであり、波風をものともせず、一筋の銀色に輝く航跡を残して、まっすぐに目ざす港に突き進む。あなたは堅く節操を守る者となり、決して世の知恵のさまざまな習慣に頭を下げてはならない。あなたの高潔な道をしっかりと歩き、神に対する信頼だけが与える強い力をあなたがもつことを示せ。そうすれば、あなたは焦燥を伴う心労から救われ、この世の悪い風潮にもてあそばれることなく、あなたの心は主を信じて不動のものとなろう。
摂理の流れに従って動くことは、いかに快いことだろう。契約を守る神に頼る生活ほど祝福された生き方はない。私たちに心労はない。主が私たちを顧みられるからである。私たちに患難はない。私たちは自分の重荷を主にゆだねたからである。
 
 

「主は国々のはかりごとを無効にし、

2015年09月01日 16時17分29秒 | 聖書

国々の民の計画をむなしくされる。
主のはかりごとはとこしえに立ち、御心の計画は代々に至る」(詩篇33:10)

人には様々な思いがあり、プランがある。しかし、神にもプランがある。
ヨセフの生涯に顕著に見ることができる。
兄達の妬みを買い、エジプトの隊商に売られ、全く思いもせぬエジプトへ。
どんな思いだったろう。
しかし、そこで買い取られた主人に忠実に仕え、主人の好意を得、全財産を任せられた。
「主がヨセフと共におられたので」はキーワードだ。
主人の妻からの濡れ衣で牢獄へ。
しかしそこでも「主がヨセフと共におられ」模範囚になり管理を任された。
献酌官長を通して出獄かと希望を抱いたが、ヨセフとの約束は忘れられ、又、2年が過ぎた。
神の時は何と長いのだろう。
結果的に見れば2年だが、その渦中では、どんなに忍耐が必要で培われた事だろう。
結局、最終的に総理大臣となり、飢饉にあったヤコブや兄弟達の命を救う事になる。
ヨセフがエジプトに売られて以来10数年だ。
そのために神が先にヨセフを遣わされたのだ。
ヨセフ自身にも自分のプランがあった事だろう。
しかし、神のプランは全く違い、遙かに素晴らしいものであった。
私達にも自分の計画がある。
しかし、神の計画は「私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに」だ。
ヨセフは神の計画の道を歩み、信仰も品格も練り上げられた。
自分の思い、計画でなく、神の私へのプランを祈り求めよう。
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自分の時間を、自分のために自由に使って行く事が生きる目的なら、神様の私へのプランを一生知る事はないだろう。
困難の中でも今置かれた場所が素晴らしいご計画の途上であるかもしれない。
神様のプランに思いを向けて祈ってみよう。


今日の聖人の記念日

2015年09月01日 06時53分39秒 | 聖書

聖ジル修道院長

?-720年ごろ

 ジルは、ギリシャのアテネの裕福な家に生まれた。幼くして両親に先立たれ、多くの財産を相続し、その地方でも有名な人物に成長した。しかし、こうした生活を嫌い、全財産を貧しい人に分け与え、自らはフランスのローヌ河口の洞くつで隠遁生活を始め、植物の根と水とミルクという質素な生活を送った。ある日、西ゴート王フラヴィウスが狩猟をしていたときに、ジルと出会い、その徳に心を動かされて修道院を建てる援助を得た。ジルのもとに多くの弟子が集まり、修道院は発展した。彼の墓の近くに建てられたサン・ジル街は、有名な巡礼地として知られている。彼は、てんかんや不妊症に苦しむ人たちの守護の聖人といわれている。


◆あざけりが追放できるか

2015年09月01日 06時52分40秒 | 聖書

あざける者を追い出せ。
そうすれば、争いも出て行く。
けんかも、悪口もやむ。      (箴言二二10)
 
争いやけんかが起こるのは、情況が悪いからだと考えやすいものです。キリスト教がいくら心の問題を説いても、社会制度・政治・経済が悪いからだというこの考えは、世の中に一般的のようです。人間の罪深さのゆえに、人間がつくる制度や仕組みに根本的な欠陥があることは、十分考えられます。しかし、どんなに制度をいじり、政治を変えてみても、けんかや戦争がこの人類からなくなりませんでした。制度や組織や情況や環境よりも、「あざける者を追い出せ」と、この聖書のことばは言うのです。
しばらく前に身近に経験したことです。その人は非常に能力のあるアイデアマンで実力者ですが、彼を助け、いっしょに働こうとする善意の人が近づいても、みな彼から去ってしまいます。これは命令系統や一人一人の分担や責任が明確でないからだと考えて工夫してみても、うまくいかないようです。制度より人そのものの、「相手変われど主変わらず」の問題ではないかと思わされました。
「あざける者」とは、人をばかにして見くだし、相手にせず、人を侮辱する人のことです。そして、人を人とも思わない人の根本問題は、神を神としないということです。こんな人を追放できたら、平和が来るでしょう。そして、実際にそういう手術が必要なケースもあるでしょう。しかし、どうしたらすべてのあざける者を追放できますか。「世に白波の種は尽きまじ」で、とうていできません。ハブを退治するよりマングースを入れ、ボウフラをすくうより魚を入れます。そのように、人の心の中にキリストが入りこんで、征伐してくださることのほかに、方法があるでしょうか。
とにかく、自分の心の中からこのあざけりをキリストに追い出していただくことではないでしょうか。まず、「隗より始めよ」です。
 
 

◆あなたは、私をさとして導き、

2015年09月01日 06時51分57秒 | 聖書
後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう。 (詩篇七三・二四)
 
詩篇作者は、神の導きの必要を感じた。彼は今、自分の愚かなことを見いだした。そして今から神の助言によって歩くことを決心した。私たちが自分の愚かさを知ることは、聡明になる重要な段階である。それは私たちに、主の知恵により頼ませる。
目の不自由な人は友人の腕によりかかって安全に家に着くが、同じように私たちも、たとえ自分で見ることができなくても、すべてをご覧になる神により頼むことがどれほど安全であるかを確信して、少しの疑いももたないで、神の導きに全くゆだねたい。「あなたは、私を……導き」とのことばは、幸いな信頼の表明である。信者よ。これはあなたへのことばである。この中に憩え。あなたの神はあなたの相談相手であり、友であられることを堅く信ぜよ。神はあなたを導かれ、あなたのすべての道を示される。記された神のことばの中に、あなたはこの確信をもつことができる。なぜなら、聖書はあなたに対する神の助言だからである。
航海者が羅針盤をもたないとすれば、どうなるだろう。またクリスチャンに聖書がなかったら、どうであろう。聖書は誤りのない海図であり、すべての浅瀬が記されている地図である。破壊の流砂より救いの港に至るまでのすべての航路は、あらゆる道を知っておられる方によって記入され、印がつけられている。
ほむべきかな、神様。今私たちは、あなたが私たちを終わりまで導いてくださることを信じます。
詩篇作者は、生涯を通して導かれ、ついに神に受け入れられることを期待して、こう言う。「後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう」と。信者よ。これはあなたにとってなんとすばらしい約束であろう。神ご自身が、あなたを栄光のうちに受け入れてくださるのである。あなたは迷い、失敗し、挫折する。しかしついには、神があなたを栄光のうちに入れてくださる。これがあなたの受けるべき分である。今日これを頼りとせよ。あなたが途方にくれる時、この聖句を覚えてただちに御座に行け。
 
 

第1歴代誌9章28-34節

2015年09月01日 06時50分30秒 | 聖書


9:28 彼らの中のある者は、務めの器具をつかさどった。数を合わせてこれらを運び入れ、数を合わせてこれらを運び出した。  9:29 彼らの中のある者は、器具、すなわち聖所のすべての器具と、小麦粉、ぶどう酒、油、乳香、バルサム油の管理を割り当てられた。



 働きを託されたレビ人の内には、自分の担当時には、夜も幕屋の周りで寝て幕屋を守る、そして朝起きてから、幕屋の門の鍵を開けるという働きをする人もいました。

また、幕屋の中で祭司達によって用いられる、様々な器具や品物を用意する働きの人々もいました。

用具としては、聖所の中には燭台があり、香を捧げる台があり、またパンや葡萄酒を置く机などもありました。

また、日々捧げられるパンや香料、光を灯すところのオリーブ油などの準備も必要でした。

これらの管理の準備は皆、その働きを託されたレビ人が、決められた規則に従って担当したのです。

こうして幕屋自体が守られ、そこにおけて毎日行われる祭司達の働きが、秩序と整頓の中で行うことが出来たのです。

奉仕は、陰の働きです。


テモテへの手紙第一1章1.5.18節

2015年09月01日 06時47分35秒 | 聖書


★私たちの救い主なる神と私たちの望みなるキリスト・イエスとの命令による、キリスト・イエスの使徒パウロから、
この命令は、きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出てくる愛を、目標としています。
私の子テモテよ。以前あなたについてなされた預言に従って、私はあなたにこの命令をゆだねます。それは、あなたがあの預言によって、信仰と正しい良心を保ち、勇敢に戦い抜くためです。

箴言25章21、22節
★ もしあなたを憎む者が飢えているなら、パンを食べさせ、渇いているなら、水を飲ませよ。
あなたはこうして彼の頭に燃える炭火を積むことになり、主があなたに報いてくださる。

■O:今日のコラム
しゃろーむ!9月1日の朝です。今日1日も、主の命令に聞き聴き従っていきましょう。主が、僕らを愛してくださり、主が僕らに恵みを与えてくださったからです。そして、僕らが、信仰と正しい良心を保ち、勇敢に戦い抜くためです。

主の命令は、主を愛し、自分を愛するように隣人を愛することです。愛の中に生きることです。律法は、愛の中に生きていない者のためにあります。

『テモテヘの第一の手紙 1:9-10 JA1955
すなわち、律法は正しい人のために定められたのではなく、不法な者と法に服さない者、不信心な者と罪ある者、神聖を汚す者と俗悪な者、父を殺す者と母を殺す者、人を殺す者、 不品行な者、男色をする者、誘かいする者、偽る者、偽り誓う者、そのほか健全な教にもとることがあれば、そのために定められていることを認むべきである。』

イエス様は、僕らを命がけで愛してくださいました。十字架と復活による贖いの愛で僕らを満たしてくださいます。主の愛の中に生きる時、自分自身が天の神様の子どもであるという、正しいアイデンティティーをもつことができます。そして、そこから、一人一人が遣わされていきます。パウロさんは使徒として、テモテさんは若い牧師として、イエス様の愛を受け取り、聖霊様の助けによって、天のお父さんからの使命に生きていきました。

イエス様の命令に、敵を愛することがあります。(マタイの福音書5章38節~)愛は全ての律法を覆います。僕らがするべき事は、イエス様から与えられた満ち溢れる愛を流し出すことです。主は必ず僕らを報いてくださいます。

だから、僕らは、イエス様の愛を受け取り、聖霊様の助けによって、天のお父さんからの命令に聴き従っていきましょう。

■A:考えてみよう
主の命令を受け取りましょう。主の愛の中に生きていきましょう。敵と思えてしまう人のために祈りましょう。主の御国がこの地にくるように祈りましょう。


■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


8月31日(月)のつぶやき

2015年09月01日 01時42分28秒 | キリスト教