私たちが自分自身を測り、また他人の品性を測るはかりは全く正確であろうか。一〇グラムほどの自分の美点を一キログラムにも計算し、他の人の一キログラムほどもある美点を一〇グラムほどにしか計算していないのではないか。
クリスチャンよ。度量衛を見よ。私たちが自分の試練や患難を測るはかりは、基準どおりであろうか。私たちよりもはるかに苦しまなければならなかった使徒パウロは、自分の苦難を軽いと言った。しかし私たちは、しばしば自分の苦難を重すぎると考えている。たしかに、重さに狂いがあるに違いない。私たちは、不正な取り引きをしたと天の法廷に報告されることがないように注意しなければならない。
また、自分の教義上の信念を測るはかりは全く正確だろうか。恵みの教理は、みことばと同じ重さをもつべきである。重すぎても軽すぎてもならない。しかし、多くの人々には、どちらかの皿が不当に重いのではないかと思えるのである。
真理に正しいます目を与えることは大切である。主にある友よ。この点において注意深くあれ。私たちが自分の義務や責任を測るますは小さすぎる。富む者が神の事業のためにわずかしかささげないのは、正しいエパであり、正しいヒンであろうか。教職者が栄養不良になっている。それが正当な扱いと言えるだろうか。貧しい者がさげすまれ、不敬虔な富む者が賞賛を博している。それが正しいてんびんであろうか。
友よ。このリストをさらに長くすることも可能であるが、それをあなたの今夜の仕事とし、不正なすべての度量衡を発見して、それを打ちこわせ。