私たちは子どもの回心のために祈ったであろうか。子どもたちが救われ、それが私たちの嘆願の結果であると知ることは、二重の喜びである。血を分けた子どもであるからと喜ぶよりは、祈りの結果のゆえに喜ぶほうがはるかにまさる。私たちは、何か特別な霊的賜物を主に求めたことがあるか。それは神の忠実さと真の黄金の布に包まれているために、私たちに与えられる時、二重の尊さをもつ。私たちは主のみわざの成功を祈ったことがあるか。祈りの翼に乗って繁栄がもたらされるのは、いかに喜ばしいことであろうか。
祝福を私たちの家に迎え入れるにはどうしたらよいだろうか。常に最上の方法は、正しい道筋である祈りの門から迎え入れることである。こうして迎えたものは祝福であって誘惑ではない。祈りの答えが延引すればするほど、祝福は豊かになる。母マリヤがイエスを捜し求めて見いだした時、少年イエスは彼女にとっていつもよりはるかに愛らしかったであろう。
ハンナがサムエルをささげたように、祈りによって得たものを神にささげなければならない。天から下った賜物は天に帰せ。祈りによって得、感謝の歌を歌い、献身によってそれをきよめよ。
友よ。あなたにとって祈りは重要なものとなっているか。それとも退屈な味気ないものか。