まず、大学でいきなり論文を書き始めて、4年間で論文式思考ができるようになるだろうか。非常に頭が良い人でもムリだろう。それまでの○×式や断片知識の習慣は抜けきらないものだ。国を動かしている高官や、戦前の高級軍人たちも。それを下敷きに20世紀の日本の3つの出来事を見ていきたい。
戦後の2つの福祉関係の出来事から話そう。1990年代に起きた薬害エイズと、1953年に成立したらい予防法を見ると、どちらも厚生省の高官が隠ぺいや、法案作成した点が共通している。その高官たちは東京大学を出た人たちだった。でも、らい予防法にしても、本当は特効薬のプロミンで治っているのに、それを隠ぺいし、勝手に「世間に白い目で見られてかわいそうだから」と思いこみ、元患者の一人一人の生き方を考えずに、それまでの隔離政策を継続させた。隠ぺいはどんなに隠しても情報が漏れる事や、元患者相手に勝手な思い込みで隔離法案を作る事のおかしさが何故判らなかったのか。論文思考で多角的に物事を見られる人たちならば、恐らくはしない事である。思慮の浅さが見られるわけで、○×式思考に思われてならない。
戦前である。1932年に満州国が当時の日本の陸軍の力によって作られた。東アジアとアメリカの歴史の分岐点になった事件だが、日本陸軍は大不況の解決策として、日本人を植民させようとしたわけである。陸軍高官も当時の帝国大学を出た人たちばかりだった。知能指数は非常に高かったと言われている。しかし、その政策は明らかに短絡的であった。まず、そこは当時も人口の多い所だった。そこに住んでいる多くの民はどうなるのか、を考えなかった。住まいを追い出されれば、武器を取って戦うことくらい、判りそうなものなのに。又、そこは中華民族の辺境みたいな所で、大昔から戦争が多かった。当時も北にはソ連が控えていた。植民すると、戦火が起きることも歴史を見れば、ちゃんと判るのに。それに当時はインドで独立運動が起きるなど、植民地の時代は終わっていた。これも歴史をまともに見れば判るのに。当時の陸軍高官も○×式思考しか出来なかったと言わざるを得ない。
小学生に論文教育ができるかについては僕は判らない。それは教育に詳しい人たちに任せたい。でも、中学以降ならば、機会さえ与えれば、可能だと思う。また、そうすれば、大学に入らなくても、論文式思考が身に付き、ほとんどの国民が多角的な発想を持ち、以上の三例みたいな誤りもしなくて済むようになるはずだ。政治家の質も良くなり、政治家間の悪口なども言わなくなると。政治も良くなり、満州建国みたいな「国策の誤り」もなくなる。終戦直後、教育から軍国主義色は抜いたが、それだけでは不十分だった。元々は日本の教育現場に軍国色はなかったのだから。軍国主義は論文式教育の欠落の結果の面もあるのだから。伝統的に論文に力を入れているフランスの例もあるし。何故、フランスを見習わないのだろうと思う。終戦直後の教育改革で、論文教育を取り入れていたら、戦後の日本の姿も大きく変わったと思う。
その教育は政治とも絡み合っている。特に、国会はその国の教育程度を反映するものと言って良い。又、一方では、国会は教育にも強い影響力を持つ。ならば、福祉や経済、外交も大事かも知れないが、それ以上に教育に熱心な政治家を生み出さないといけない。熱心であるというより、「論文式教育」を述べる国会議員を。いくら熱心でも、例えば、戦前教育に回帰みたいな事を述べるのは時代錯誤であり、おかしいわけだから。同様に、○×式教育を強化するような事もおかしいと思われるし。でも、悲しい事に教育は選挙の争点にはなっていない。僕も今までは教育で投票は選ばなかったが、今後は改めたい。教育も投票基準にしていきたい。
子供を持つ人も、持たない人も教育には関心を持つべきではないだろうか。
戦後の2つの福祉関係の出来事から話そう。1990年代に起きた薬害エイズと、1953年に成立したらい予防法を見ると、どちらも厚生省の高官が隠ぺいや、法案作成した点が共通している。その高官たちは東京大学を出た人たちだった。でも、らい予防法にしても、本当は特効薬のプロミンで治っているのに、それを隠ぺいし、勝手に「世間に白い目で見られてかわいそうだから」と思いこみ、元患者の一人一人の生き方を考えずに、それまでの隔離政策を継続させた。隠ぺいはどんなに隠しても情報が漏れる事や、元患者相手に勝手な思い込みで隔離法案を作る事のおかしさが何故判らなかったのか。論文思考で多角的に物事を見られる人たちならば、恐らくはしない事である。思慮の浅さが見られるわけで、○×式思考に思われてならない。
戦前である。1932年に満州国が当時の日本の陸軍の力によって作られた。東アジアとアメリカの歴史の分岐点になった事件だが、日本陸軍は大不況の解決策として、日本人を植民させようとしたわけである。陸軍高官も当時の帝国大学を出た人たちばかりだった。知能指数は非常に高かったと言われている。しかし、その政策は明らかに短絡的であった。まず、そこは当時も人口の多い所だった。そこに住んでいる多くの民はどうなるのか、を考えなかった。住まいを追い出されれば、武器を取って戦うことくらい、判りそうなものなのに。又、そこは中華民族の辺境みたいな所で、大昔から戦争が多かった。当時も北にはソ連が控えていた。植民すると、戦火が起きることも歴史を見れば、ちゃんと判るのに。それに当時はインドで独立運動が起きるなど、植民地の時代は終わっていた。これも歴史をまともに見れば判るのに。当時の陸軍高官も○×式思考しか出来なかったと言わざるを得ない。
小学生に論文教育ができるかについては僕は判らない。それは教育に詳しい人たちに任せたい。でも、中学以降ならば、機会さえ与えれば、可能だと思う。また、そうすれば、大学に入らなくても、論文式思考が身に付き、ほとんどの国民が多角的な発想を持ち、以上の三例みたいな誤りもしなくて済むようになるはずだ。政治家の質も良くなり、政治家間の悪口なども言わなくなると。政治も良くなり、満州建国みたいな「国策の誤り」もなくなる。終戦直後、教育から軍国主義色は抜いたが、それだけでは不十分だった。元々は日本の教育現場に軍国色はなかったのだから。軍国主義は論文式教育の欠落の結果の面もあるのだから。伝統的に論文に力を入れているフランスの例もあるし。何故、フランスを見習わないのだろうと思う。終戦直後の教育改革で、論文教育を取り入れていたら、戦後の日本の姿も大きく変わったと思う。
その教育は政治とも絡み合っている。特に、国会はその国の教育程度を反映するものと言って良い。又、一方では、国会は教育にも強い影響力を持つ。ならば、福祉や経済、外交も大事かも知れないが、それ以上に教育に熱心な政治家を生み出さないといけない。熱心であるというより、「論文式教育」を述べる国会議員を。いくら熱心でも、例えば、戦前教育に回帰みたいな事を述べるのは時代錯誤であり、おかしいわけだから。同様に、○×式教育を強化するような事もおかしいと思われるし。でも、悲しい事に教育は選挙の争点にはなっていない。僕も今までは教育で投票は選ばなかったが、今後は改めたい。教育も投票基準にしていきたい。
子供を持つ人も、持たない人も教育には関心を持つべきではないだろうか。