トシコロのありのままの暮らし


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初めての親離れ合宿

2016-09-09 11:51:06 | 日記
  原一男氏の連想から思い出している事である。1967年、僕が小学6年生だった時の8月。男女に分かれて、担任の先生の家で一泊二日の合宿をしたわけである。児童たちの障碍程度は様々だった。今は公立学校に行けるはずの障碍程度が軽い子もいたし、筋ジストロフィーという難病で、すでに腰から下が全く動かない子もいた。先生の家までは、歩ける子は電車やバスを使っていき、歩けない子は数人一緒にタクシーに乗って行った。送り出す父母は何かと心配したが、児童たちは楽しく行ったし、現地でも各自冗談を言い合って過ごした。落語や漫才を真似た話もあれば、自分で即興的に冗談を作った児童もいた。詳しくは覚えていないが、僕も盛んに冗談を作っては皆を笑わせていた。書きながら、今も笑ってしまった。


  介護サポーターはその先生の他はどのような人がいただろうか。原一男氏も来て、得意の写真を撮りまくっていた。また、高等部の理科の先生が応援に来てくれて、僕を立たせて相撲しながら、相撲の技を教えてくれたのが印象的だった。「これが上手投げ」とか、「つり出し。明武谷が得意だね」と。その先生は特に物理学に詳しいが、物理学の応用から相撲の技にも詳しいわけだ。

  各自、出来ない事は介護してもらったが、親から離れて生きる気持ちを持つ事を自然に学んだ。当時の児童たちは気が付かなかったが、そこから自立心が養われていった。僕にとっても初めての親離れ体験。今思うと、非常に意味はあった。

  入れ替わりに女子たちが同様な合宿。話した内容は違ったが、結果的には同様だった。

  今回は以上の事を簡潔に話したが、それ以降も光明養護学校関係では自立心養いに結果的に結びつく事が色々とあったので、書いていく。僕や同級生たちにとってはもちろん、原一男氏などのサポーターの方たちにとっても、非常な誇りだからである。僕も誇りを持てる事があって良かったし、多くの人たちと誇りを共有できて良かったと思っている。また、輝かしい過去を掘り起こせば、自分の未来への指針も必ず見えてくるわけだし。