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多磨全生園で見た一地獄

2023-01-05 13:20:21 | 日記
   一元患者夫婦の離婚である。1977年(昭和52年)、全生園を訪問した時に出会った中年元患者夫婦のS夫妻。夫は当時は40歳くらいだったろうか。大変社交的で、東村山市の革新系無所属議員とも付き合いがあり、多くの外部者たちとも交流。僕にもその延長で声をかけて下さり、付き合いが始まった。僕に限らず、訪問者にとって印象的だったのが夫婦仲。いかにも暖かく、幸福そう。出身地は違うが、二人の愛は深かった。それが明らかに訪問者たちの人気を呼んでいた。77年の時点では、妻の夫を見る目は慈愛そのものだった。

  それが、80年ごろからその目つきは冷ややかなものになり、夫は少しずつ寂しさを訴えるようにも。何かの発明、某宗教団体への抗議運動、親睦会や医学会作り、やることをクルクル変え、精神は不安定に。いきさつは知らないが、84年離婚。夫は憔悴しきった顔して、「ものすごく寂しい」と話した。僕は掛ける言葉はなかった。S氏は閉鎖的になり、僕も付き合えなくなり、そこに伊藤まつさんが85年に天国に行き、全生園から去った...。

  当時に限らず、近年まで以上の事が判らなかった。それゆえに書きようもなかった。愛が冷えればさみしいのは判るが、深く愛し合ったのになぜ冷えたのかと。その後、世代の別なく、多くの離婚の話を聞いた。離婚経験のあるママさんとも親友にもなった。また、戦前の大家族制は愛を消し、女性に忍耐を強いたことは知っているが、ならば、戦後のマイホーム型の夫婦生活も同じではないかと思うようにもなった。さらに、全生園内の結婚も、子こそ作れないものの、世間のマイホームを模している。その型にはめるような夫婦生活。世間の型にはまらない元患者たちが。皮肉でもある。例えば、室町時代以前にあったような通い婚とか、変えたらと今の僕は思うのだ。大家族制はもちろん、マイホームも夫婦の家族化が目的。家族恋愛はあり得ない以上、男女愛もそれで消えるし、ふうっと消える場合はまだよいが、消える時に「地獄の大ゲンカ」になる例が多い。

  僕が見たS氏の憔悴した姿も、そのような地獄の跡だったと気が付くわけだ。育児の社会化と並んで、型にはまらない恋愛や結婚の多様化を望む。ちなみに、新約聖書にあるイエスの説いた結婚は「男女の魂の結びつき」。当時は封建的な大家族制も、現代のマイホームもなかった。2つに当てはめることはおかしいわけである。


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