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子宮切除発言の正体

2019-07-22 11:19:14 | 日記
これも以前、断片的に書いた事ですね。1982年ごろ、当時の身障ミニコミ紙が、身障団体機関紙の転用という形で伝えたものです。「女子園生は子供を産む事もなく、生理の後始末は職員たちの手を煩わせるだけだから、切り取っても構わない」と、退職後の小林博士が漏らした事だとか。「ナチスみたいだ」と身障者たちからの反応があったとか。実際に実行はしなかったものの、あってはならない発言です。


  そのような発言が出た根はいくつかあります。一つは、身障女性たちの性行為を予測していなかった事。恋愛とか結婚を。いつまでも園生を「子供」と見ていたわけです。これはすでに小説に書いた、聖書の愛と親子愛を混同していた事に原因があると思われます。それゆえ、園生への愛はどうしても半人前になってしまう。子供への愛はどんな場合でも、半人前になるし、我々も小学生以下の子供の人格をどうしても半分しか認めない傾向があり、今の保育士の低賃金の問題にもつながっているでしょう。

   それ故、小林博士の愛は職員たちに偏っていました。1977年、その講演会をある福祉団体で行ない、僕も聞きましたが、「職員たちには御殿みたいな所に住まわしてあげたい」と言っていましたが、大人園生の事は一つも語っていませんでした。これも以上とは別の聖書誤解があるのかもしれません。まず、イエスは「神を愛せよ」と第一に説き、次に「隣人を愛せよ」と。神への愛は広辺無大のもの。気持を無限に広げて、多くの隣人を公平に愛せよ、という意味になると思います。でも、島田の例に限らず、日本人クリスチャンはいきなり人を愛する例が目立つ。その場合、偏った愛し方になっていくものです。それでトラブルも起こし、挫折もしていく。難しい問題ですね。これは我々も無意識的にしている事かも知れません。

  それと、「切除」は人体を単なる機械としか見ていない。人体を有機体とは見ていない事も察せられます。19世紀以降発達し、特に日本では明治期に取り入れられ、そのまま医学関係で純粋培養されてきたものです。機械だから、取り外しもきくと思っている。その考えを深めると、かつての日本軍が極秘に行ない、どこの国の軍隊でも軍医たちがしてきた人体実験の問題にもつながります。現に、島田療育園でも、歪みがひどくなった1975年ごろには、そのような実験的手術が行われました。医者ではない僕が書く事は限界があるにしろ、その事も盛り込みます。

  因みに、特に近代医学の発達したドイツでさえ、ずっと漢方医学に似た伝統治療も併用されて来ました、伝統医学を近代期に捨て去った国は日本だけです。日本はおかしいです。

  最後に、「偏愛」の恐ろしさの最たる例はナチスでしょう。その愛はドイツ人、それも健康なドイツ人に偏っていました。「アーリア民族の為に」と色々しましたが、他の民族とか、遺伝子病のある人たちは愛さなかった。それゆえ、行動がアンバランスになり、果てはユダヤ人を虐殺し、他の国々とは戦争し、遺伝性障碍者や精神障碍者を抹殺したわけです。そのような例は歴史にいくらでもあります。偏愛の恐ろしさも述べて、終わりにします。

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