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歴史の不思議・昔の農民は土地を耕す体力はあったのか

2018-08-02 13:54:44 | 日記
  ふと思ったから書きます。工業が発展する前は、遊牧民は別として、大体が農業中心の社会でしたね。その上に商人や工作人、宗教関係や王侯貴族、騎士や武士などがいたわけです。王侯貴族でさえも、現代人に比べれば栄養価の低いものを食べていました。ましてや、農民はどの国でも貧しい食生活を強いられ、結核感染率も高く、平均寿命も短かったわけです。


  そのような状態で、今のプロ野球選手よりもきつい肉体労働である、土を耕すなどの行為ができたのか。今のプロ野球選手は毎日高栄養の食べ物を十分摂取しているから、ホームランも打てるだけの体力ができるわけですが。どうなのでしょうね。日本の今年のTVドラマの「西郷どん」の中にも、奄美の農民が自作地も取り上げられ、薩摩藩の財源であるサトウキビの生産を強いられる場面も出てきますが、農民が自分の食べるものもなくなれば、サトウキビを生産できるだけの体力もなくなるのではないかと。それは、例えば、ロシアの農奴や近代以前の中国やヨーロッパなどの農民の問題にも言えますが。しかし、歴史を見ると、それでも農業社会も成立してきましたからね。今までの僕も気が付きませんでしたが、考えてみれば不思議です。

   今の農業は相当機械化され、昔みたいな肉体労働も軽減されています。さらには、農業工場も発明され、ますます省力化されています。もし、昔の農民みたいな毎日過酷な農作業をすれば、非常に健康な人でも、それこそ、プロ野球選手でも、腰痛や骨の狂い、神経痛などが生じて大変な事になる事は間違いありません。一部では「自然と共に暮らせる」という声もありますが、歴史を見る限りでは農業も甘くないわけです。

   農業全盛時代は身障者への差別は極めて強かったとよく聞きます。そうでしょう。何もできませんからね。また、健康な人たちも何かの病気を持てば、それで「終わり」だったわけです。

   今の日本ではそのような声は余り聞きませんが、40年前には「農業で資本主義に対抗して、新社会主義を作ろう」という話もたびたび聞きました。やはり、毛沢東やポル・ポトがそのような考え方でしたね。でも、挫折した。それだけ、農業の現実は厳しいわけですね。資本主義や公害関係に対抗できる力は農業にはないわけです。また、諫早干拓の件でも判りますように、農地自体も自然を破壊して作られるものですし。難しいわけです。

   再び農業社会に世界は戻る事はないでしょうが、それでも、昔の農業の問題も歴史の一つとして学んでいきたいものです。

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