トシコロのありのままの暮らし


  世田谷カフェとの交信の必要性で、登録しました。それ以外の皆さんもよろしくお願いします。

「期待」は愛を消す

2021-10-30 13:28:51 | 日記
  1983年に似た事を聞いていた。一緒に島田療育園や多磨全生園に行った事もある男の旧友。元々はマイホーム志向だったが、島田に行き、価値観が変わった人です。一緒に島田などに行きながら、マイホーム志向で内向きになり、福祉関係の場に行かなくなった仲間たちを嘆き、「皆、マイホームに期待し過ぎる。でも、それは甘いとか、楽しいものではない。すぐに夢から覚める。それでも、男は仕事に打ち込むからまだマシだが、奥さんになった人達は今度は子供に期待して、その尻をビシビシ叩く。これが受験戦争の根本原因だ」。

  当時は受験関係が社会問題化していたが、そのような面はあった。戦前も受験競争はあったが、エリート児童に限られていたし、根は富国強兵という国策だった。でも、戦後はほとんどの児童に広がり、性質も戦前とは違うものである。戦前は国が一部の児童に期待したのに対し、戦後は親に代わったと言おうか。伸び伸びした子供の気持ちはもちろん、子供の持つ真の能力までも伸びない結果に。真の人間の能力は非常に幅広く、多種多様。まともに書ききれないし、人が他人に期待するものは本当に一面的なものにしか過ぎないわけだから。親であれ、誰であれ、子供に対して「こうあってくれ」と期待するものは愛情でも何でもないわけである。その後、少子化で学校が余るようになり、受験戦争はいつの間にか消え、忘れられた。今回の選挙でも教育問題は争点にはなっていないが、不登校児童の事など、教育・児童関係には根が深い問題が相変わらずあり、忘れてはならない。

  話を戻し、親の期待だけでは教育関係はないにしろ、1983年の時点で「期待」の持つ矛盾に気が付いていた事はものすごいし、もう少し掘り下げれば身障者などの恋愛・結婚差別、さらには、マイホームという型にハメられた当時の愛の問題も出たと思いますが、当時の時代状況でそこまでは誰も判らなかったわけです。

  (83年当時の日本の女性は会社で大した仕事は与えられず、結婚と同時に退職していた。高校や大学卒業後は就職せず、プロ野球選手や力士の応援団活動みたいな事ばかりする例も多かった。そのような時代背景の発言ですね)(もう一つ追記。今の親子関係は当時とも全然違うものになっているわけです。特に、シングルママの事が。一生懸命育児されている方もいれば、育て方も判らず、大変なことになっている例も多い。本来は選挙の争点にしないといけませんが。人々も関心持ってもらって。例えば、今の政治家も、介護士や科学者も元々は子供だったですね。そう考えると、政治、福祉、科学と児童問題は極めて大切になりますね)