トシコロのありのままの暮らし


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島田園生間にはイジメはなかった・僕が伏せたもう一つの理由

2019-09-11 10:45:51 | 日記
先のイジメのついでに書くと、島田園生間にはイジメは僕の知る限りでは、なかったです。理由は、知的障碍を持たない身障園生の人数が少なかった事もありますね。また、いつも園生たちはそれぞれ違う事をしていた。ある人はタイプライターで絵を描き、別の人はタイプライターで童話、さらには、詩や随筆を代筆で書く人とか。同室でも、違う事をやると、自分の世界を持てますから、煩わしく感ぜず、出来栄えを尊重もし合える。友情みたいなものも出るのかもしれない。それは福祉関係は勿論、一つ屋根で暮らす親子や夫婦の参考にもなる。現に、一緒に暮らしている母と僕はいつも別々の事をして、用のある時しか視線を合わしません。大事なことだし、僕も結婚したら、妻ともそのような生活をしたいです。無論、熟年離婚防止にも応用できます。良い面は良いとしないといけません。


  イジメかな?と思った事もありましたが、それは意見の違いからくるケンカでした。それは仕方ないですね。また、園生たちの心は誰も非常に純真だった事も理由にあります。ずるい人はいなかった。

  とは言え、先に話したM氏とは違う、K氏が職員の悪口ばかり言っていた。そのように僕も信じてしまった。それで紛争にも巻き込まれ、園や後援会、更には、M氏までも敵に回して僕もケンカして、一年で行けなくなった。「あの時、K氏に肩入れしなければ、ケンカせず、行き続けられたのに」という想いがあり、逆に「M氏に肩入れすれば良かった」と思うようになり、過去否定の気持に捉われたわけです。それが長く続いた事も、島田の事を伏せた理由です。でも、後年も野口君やM氏と文通できたから、それで良かったじゃないかと思うようになり、気も楽になり、小説も書けるようになったわけです。過去肯定は大事ですね。過去否定は愛の反対の一つかも知れません。自己否定でも。何もできないわけです。

  そのK氏のパワーは物凄いものがある。後年行った身障ミニコミの人たちも、K氏の言うがままに記事を書くようになり、絶叫文になっていった。当時の八代英太議員も動かし、国会で取り上げるように。元々はK氏一人の言。それが日本の最高機関の国会まで。ならば、僕が肩入れしたのも当然でした。そのようなパワーを持つ人は滅多にいない。出会って良かったし、思い出し、表現法を学んでいる所です。その話し方を僕なりにアレンジして取り入れれば、本当にやりたい事は何でもできます。そのように今は気が付いています。過去否定はもったいなかった。

  K氏に関わった人たちは特に傷ついたり、情緒障碍になったり、ムリして体を壊し、早くに他界した例もあります。僕もかつてはそうだった。持つパワーが強力なためですが、逆にそこから学べば強力に役に立つ。関係ないと思われていた子供向け文にも生かせそうだし、結婚縁関係にも通用しそう。その他の諸々の事に。これで良いわけです。野口栄一君との付き合いは良かった、M氏との付き合いも良かった。K氏も僕には良かったわけです。三人が好きだから、また、職員たちも好きだから、いつまでも覚えていられて、小説にもできる。嫌いならば、または、どうでも良ければ、書けないわけです。第一、名前もすぐ忘れます。そんなものです。人間は好きな事をするようにできているわけですね。