トシコロのありのままの暮らし


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大まかな言葉の恐ろしさ

2019-08-17 13:15:01 | 日記
「映画・旅猫リポート」のブログの終わり近くにも少し述べた事である。終戦直後から、日本・首都圏のボランティア関係は、養護施設(孤児院と昔は言われた)中心に活動し、そこから問題意識を持ったボランティアたちが、地域住民が養護施設の子供たちに関わり、散髪や料理などのケアとか、一緒に遊んだり、お菓子を提供したり、我が子のように愛情を注ぐことを考えたようで、彼らはその事について盛んに議論したようだ。そして、以上の事をいつしか、「施設の社会化」と呼ぶようになり、ボランティア関係に受け継がれた。確かに、省略形の言葉は言いやすいし、聞きやすい。文章にしても、仲間内ならばすぐわかる。言葉の省略形を使うのは、人間の本性かも知れず、仕方ないかもしれない。


  時は経て、1977年。僕も入り、一緒に島田療育園に行った某福祉会。会の中に、島田班を作った訳だが、いつしか「島田の社会化」を言い出し、議論ばかりしていた。僕が行き始めたのは1977年5月だったが、その時はすでにその議論に明け暮れていた。ところが、班長格の人ですら、「島田の社会化」なる意味が判らない。何分、ボランティアの大先輩格に当たる、傘下に多くの福祉会を持つ福祉団体の役員たちがその機関紙に「施設の社会化を推進しなければならない」という事が書いてあったから、その影響を受けて、「島田でもそうしないといけない。でも、島田とか施設の社会化とは何か。判らない」になり、延々と議論に明け暮れたわけである。当時の島田はすでに園生へのお仕置きとか、医療用麻薬の投与で、大変だったのに。次第に僕は「そのような難しい言葉を使うこと自体がおかしい」と考えるようになった。また、議論の末、悩み、島田から去った人達も続出した。「社会なんて、存在しないよ」と言い出す者まで複数現れた。更には、社会を矮小化して見て、結果、憲法・法律・政治経済・歴史に無関心になる人たちまでも出る始末。葛藤を残したままになった。交友や仲間関係にも影響を与えました。仲間に一人聴覚障碍を持つ人がいましたが、文字で書いても、「施設の社会化」なんてわかるわけもなかった。彼は会に溶け込めませんでしたが、理由の一つもこのような難しい言葉を使ったせいもあると思います。彼だけでなく、会の新人たちもその論議について行けず、端から離れてきました。島田班は潰れたわけです。難しい話ばかりしていたから、僕も仲間たちとうまくやれなくなり、誤解も時々起き、小ケンカも多発したのを覚えています。本来はあっただろう、彼らとの友情関係も限定的なものになった。あるいは、その関係で恋愛が複数あり、結婚も出たのかもしれませんが、難しい話ばかりならば、何の縁も生れないわけです。後年、別の会に行っても、島田自体の事と共に、「社会化」議論の想いもついて回った。交友も同様に限定的になり、異性とのやりとりも困難でした。他の身障者の恋愛・結婚難には別の要素があると思いますが、僕のこの件はこの要素が最大だったかもしれません。「社会化」議論は僕も忌まわしい思い出です。同様に言っている人もいますし。

  島田療育園の実録小説を書き始めて、僕は忘れかけた以上の言葉を思い出し、更にその福祉団体の大先輩格の人たちもずっと養護施設関係の活動に携わってきた事も思い出し、「施設の社会化は、養護施設から出た言葉。その言葉を使った人たちは島田や全生園の事は知らず、全くの想定外」だった事も悟り、何だったのだろう?と思ったわけです。確かに、僕などの世代の人たちの言う所の「施設」は島田療育園みたいな障碍児者関係のものですが、たった10年くらい先輩の人達の言う所の施設は養護施設。内容が違うし、対策も全然当てはまらないわけです。同じ言葉でも、人によっても、世代によっても、意味が違ってくるし、また、当然ながら、首都圏と地方は違うし、地方ごとも違う。お国が違えば、もっと違うわけです。「施設」みたいなあいまいな言葉は使ってはいけませんね。

   日本では、ボランティアする人が少なく、従って、会を作ると、仲間内で凝り固まる傾向があります。その場合、言葉も「省略形」など、仲間内にしか通じない話ばかりになり、ますます新人が入りにくくなり、世間も理解できず、孤立を深める。40年前に誰かから僕も「ボランティア関係は社会性がない」と聞いた事があるわけだし。とに角、「仲間内で凝り固まる」とろくな事はないようです。やはり、雪印や東芝などもそれで世間から孤立し、体質を弱め、潰れました。それと共通しているわけです。本当は仲間内にならず、世間に目を向けて、遊び的なものでも構わないから、広めていかないといけないわけですが。仲間内に凝り固まり、一度は潰れたみたいになった。残念です。

  とにかく、僕はそれでも園生の声を聞き、今は実録小説を書けるまでになりましたから良かったですが、他のメンバーよりは程度が軽いにしろ、葛藤点の一つです。何であれ、葛藤は解放しないといけませんよね。(因みに、「島田の社会化」。一部の職員や園生は聞いたが、判るわけもない。「そんな事を述べるとは、過激派に違いない」と怒った園生もいた。職員にも変に思った人もいたそうだ。言葉の誤解は恐ろしい。言葉の誤解がないように僕も色々書きたいし、その恐ろしさも伝えていきたい)