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長崎原爆投下に想う

2019-08-09 14:02:16 | 日記
1945年8月9日、長崎に原爆が投下されました。ここでも多くの日本人の他、朝鮮半島から連行されてきた人たち、中国人、更には、アメリカ軍の捕虜も被爆、死亡しています。国籍を越えて、被害者に哀悼の祈りを捧げます。


  広島の時もそうでしたし、この場合もアメリカ人の捕虜がいて、原爆を落とせば殺される事がアメリカ軍も判りながらも、落とした。その辺のことも僕は、落とした気持ちが判りません。原爆は敵味方に関係なく、殺してしまう恐ろしい兵器なのに。日本に落とした2つの原爆の放射能も、上空を渡り、ごく微量とは言え、アメリカ大陸にも渡ったはずなのに。但し、当時はまだ放射能測定の機械が少なく、不正確でもあったため、検出はされなかったわけですが。原爆とはそのようなものですし、それ以前に戦争もそうですね。日清・日露の戦争では、多くの中国人・ロシア人(軍人・民間人共)が亡くなる・傷つき、身障者や精神障碍を持ちました。当時の日本帝国の罪ですが、その戦勝国の日本人も多くの死傷者や未亡人を出し、深く傷ついたわけです。本来ならば、この2つの戦争の時に、日本全体が「戦争の大きな傷」に目を向けていれば、後の中国侵略も、以上の原爆投下もなかったと思われますが、戦勝気分に酔い、更に、諸々の新聞も「勝った、勝った」と書き立てたから、余計気分が先行し、日本・中国・ロシアの死傷者や未亡人の問題は陰に隠れ、戦争は格好いいものだとされ、子供たちの間でも、戦争ごっこが流行る始末になってしまった。

  現在、日本のマスコミ報道や有識者の見解は、1930年以降の日本の経済とか政治の狂い、軍部のわがまま、ナチスの誘いみたいな事ばかりに目が向いていますが、それらも大事にしろ、戦争の道に入った根の大きな一つは日清・日露戦争の時にすでにある気がします。また、「気分だけ、中身を考えない」事の恐ろしさは戦争以外の、社会・人生の全ての事にも言えると思います。僕も以前は戦争の根をマスコミや有識者と同じ見方をしてきましたが、実際はもっと前にさかのぼるし、ひょっとして、日清戦争以前にもさかのぼるかもしれないとも思うようになっています。問題は違いますが、島田療育園で脳性まひ者の硬直の対策に医療用麻薬が使われた問題の根も明治までさかのぼるように。どのような問題も歴史的に根が深いのかもしれません。

  長崎原爆投下が人類最後の原爆使用にしなければなりません。我々の義務です。