当時の僕は光明養護学校の高校2年生だった。その関係の所に、仏教系新興宗教会と思われるボランティアたちが団体で押し掛けて、「タクシーを借りたから、ドライブして上げる。ごちそうの昼食も出すから」と生徒、児童、父母たちに働きかけた事があった。結局、僕は行かなかったが、非常に印象に残った。そのボランティアは主婦が多かったが、一様に「ありがたい」バッチを胸に付けていた。話も一様。何か、一様のものを求めている事が当時の僕にも判った。何より気になった事は、彼らの表情は非常に暗い。寂しそうでもあった。だからと言って、光明学校に集団で押し掛けられると、児童・生徒も、教師や介助員の方たちも落ち着かなくなり、非常に迷惑。また、後年思えば、お金の問題も。タクシー料、ごちそう料、どこかへの入園料と、M会とボランティアが負担する訳である。かなりの出費で、しかも、別に彼らは社長でもない。大金を払ってまで、奉仕する意味はあるのかと、その面でも変に思っている。(「ありがたいバッチ」は個人の信仰の自由だが)
別に、M会に限らない。1971年以降は光明にも団体として来るボランティアが増えた。例えば、60年代末のボランティアは、若かりし頃の原一男氏のように、大体、個人的に光明に訪れ、児童・生徒とも一緒に楽しく付き合えた。年代の差はあったが、今思うと、児童・生徒と友人になっていたと思う。でも、70年代に入り、個人的に付き合うボランティアもいたが、主流はグループ行動になった。大人数で押し掛けられる。一同級生は「彼らは、僕らをバカにしているんじゃないか」と言っていた。そう思う人が出ても仕方ないわけである。グループの場合、個人と個人の心の交流はできないから、生徒などとの意思疎通もできない。友人にもなれないし、個人の心の受け止め合いがないから、愛もできない。それはグループ内も同じである。これが仲間関係の正体である。
グループで来るボランティアたちを当時の僕は非常に嫌ったが、その想いは忘れたように見えて、忘れていなかったようである。S園にも園生たちと、個人と個人で付き合おうとしたし、脳性まひ関係とかなり問題が違う、元患者の伊藤まつさんにもそうした。つまり、高校時代のイヤだった経験を無意識的に生かしたわけである。
因みに、M会に限らず、グループ活動などを通して仲間意識を求める人たちは、求めれば求めるほど、寂しさが深まり、心も癒されないと思うが。その果てがオウム真理教。麻原はその心理を知り尽くして、信徒たちに仲間意識を求めさせ、寂しくさせて、寂しいから麻原の言う事を聞くような人間に変えていったのである。
当時は高度経済成長も、全学連活動も陰りが見えて、「15、16、17と私の人生暗かった」みたいな歌も流行り始めた時代である。寂しく感じる人も増えてきて、仲間意識を人々は求め始めたのかもしれない。だが、それには「個人の心」が欠けていたわけである。光明に来てドライブ・ボランティアをした人たちのその後は僕は知るわけもないが、仲間意識を求めて幸福になっただろうか...。
別に、M会に限らない。1971年以降は光明にも団体として来るボランティアが増えた。例えば、60年代末のボランティアは、若かりし頃の原一男氏のように、大体、個人的に光明に訪れ、児童・生徒とも一緒に楽しく付き合えた。年代の差はあったが、今思うと、児童・生徒と友人になっていたと思う。でも、70年代に入り、個人的に付き合うボランティアもいたが、主流はグループ行動になった。大人数で押し掛けられる。一同級生は「彼らは、僕らをバカにしているんじゃないか」と言っていた。そう思う人が出ても仕方ないわけである。グループの場合、個人と個人の心の交流はできないから、生徒などとの意思疎通もできない。友人にもなれないし、個人の心の受け止め合いがないから、愛もできない。それはグループ内も同じである。これが仲間関係の正体である。
グループで来るボランティアたちを当時の僕は非常に嫌ったが、その想いは忘れたように見えて、忘れていなかったようである。S園にも園生たちと、個人と個人で付き合おうとしたし、脳性まひ関係とかなり問題が違う、元患者の伊藤まつさんにもそうした。つまり、高校時代のイヤだった経験を無意識的に生かしたわけである。
因みに、M会に限らず、グループ活動などを通して仲間意識を求める人たちは、求めれば求めるほど、寂しさが深まり、心も癒されないと思うが。その果てがオウム真理教。麻原はその心理を知り尽くして、信徒たちに仲間意識を求めさせ、寂しくさせて、寂しいから麻原の言う事を聞くような人間に変えていったのである。
当時は高度経済成長も、全学連活動も陰りが見えて、「15、16、17と私の人生暗かった」みたいな歌も流行り始めた時代である。寂しく感じる人も増えてきて、仲間意識を人々は求め始めたのかもしれない。だが、それには「個人の心」が欠けていたわけである。光明に来てドライブ・ボランティアをした人たちのその後は僕は知るわけもないが、仲間意識を求めて幸福になっただろうか...。