トシコロのありのままの暮らし


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僕がヴィーガン関係を述べるようになったいきさつと、そこからの深い想い

2018-10-15 11:57:05 | 日記
  そのいきさつだが、フェイスブックでその関係の社会運動をされている方たちとたくさん出会ったからである。フェイスブックはつながりから、多くの人たちと出会えるわけである。


  僕も子供向け科学の文に「命」の事も書いているから、その参考にもなると思い、次々と縁を広げているわけである。無論、そのような運動をされている方たちの想いや行動も一人一人違う。これも当然ですね。でも、そのような人たちに引きずり込まれるような迫力や心に訴えるものを感じ、僕もそれに心が向き、書くようになったわけです。ビタミンB1の問題から今の僕は医学的にヴィーガン食に移行する事はできないし、近所にはそのようなものを売っている店もありませんが、将来の課題としてビタミンB1の問題を科学技術で解決して、より命を尊重する地球社会になってほしいものです。


   ところで、以上の人たちに何故僕が「引きずり込まれた」のでしょうか。「死」の問題が根にあります。その運動家には気が付いている人、気が付いていない人がいるでしょうが、例えば、野良犬などの殺処分に反対する人たちも多いです。毛皮反対運動とか。そのような人たちは、犬や狐の生死を通して強烈に死を見つめ、更には、人間たちの死の問題も実感している。無論、私も死に行く者である事も「実感」しているからです。そのような人の書く文章や、する話は実感がこもるからです。僕も死を強烈に意識するようになれば、同様な書き方になるわけですが。文の書き方の面からも勉強になっています。又、僕は生まれつきの身体・言語障碍を持っていますが、出会ってばかりの時期なのに、僕への理解が早く、正確でもあります。これも判る気がします。死は肉体が朽ちる事でもありますが、「自分の体も朽ちていく」と実感すれば、身体障碍の件も相対的に思えるのではないでしょうか。それゆえ、自分の延長として僕の事も考えたり、受け止めてくれる。もし、世界中の人たちが何らかの方法で死の問題と向き合い、「自分の体も朽ちていく」と実感するようになれば、身障者差別とハンセン氏病差別は消えていくと思います。同様に「自分の脳も朽ちていく。ボケていく」と実感すれば、知的障碍者や精神障碍者差別も消えていくのかもしれません。脳意識も朽ちるわけですから。

   そう言えば、キリスト教の聖餐式の目的もそれに通じるものだそうですね。最近読んだ筒井康隆書「誰でもわかるハイデッカー(河出書房新社)」の後半の、大澤真幸氏の文で、非常に判りやすく解説してありますから、関心のある方はそれをご覧になれば判りますが、要するに聖餐式はイエスの十字架上の死を再現し、更には、自分も、皆も死んでいく、肉体も脳も朽ちていく事を実感していくのが目的だそうです。また、仏教も、イスラムも「肉体も、脳意識も朽ちていく」事を繰り返し確認する事により、人々の平等と信仰を説いているわけです。例え、何かの信仰を持たなくても、人間は最低限、「肉体も、脳意識も朽ちていく」事を実感しないと何もできないのかもしれません。早い話、例えば、医者から「あと1年の命」と告げられると、やりたい事の優先順位を決め、やりたい事を集中的に行ないますね。愛する人がいる場合は、愛を集中的に捧げるとか。でも、不死身だと思うと、やりたい事の確認もできず、中途半端な事しかできないのではないでしょうか。

   今日はここまでの話ですが、「自分の死を意識して生きた人」の実例も僕は見ています。次にお話しします。
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