トシコロのありのままの暮らし


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先の「介護殺人とテロリスト」の文の補足

2016-07-09 11:07:30 | 日記



  ある人から「障碍者による殺人事件と、テロリストとの共通点も同じ事が言えるのではないか」との指摘があった。その通りである。先週書いた難聴を持つ人の殺人事件も同じ問題がみられると。更に、広げて見てみると、全ての殺人事件に言えるかもしれない。

   いかなる殺人事件も出さない社会作りをするために、その原因や状況を徹底的に分析する事は大事だと思う。でも、必ず、出てくるのが、似た状況の人たちが多いのに、殺すのはほんの一部である点である。先週述べた難聴者の事も、同じように就職できない難聴者もたくさんいるし、苦しみから精神病も併発した難聴者もたくさんいるのに、同様な殺人事件は起こしていないわけである。親の過酷な介護に関わっている人も非常に多いが、殺人する例は非常に少ない。今回のバングラディッシュのテロ犯人関係にも言える。一体、何が殺しという行為に至らせたのか、事件が起きるたびに心痛むと同時に、不思議にも思う。又、同じような人たちが殺人予備軍みたいに思われたら、大変であるし、そのような偏見が作られてはならない。精神病への偏見と併せて、特に精神病を持つ人たちはそのような偏見が起きやすいため、それはあってはならないと訴えたい。

  以上の「違い」についてはたまに新聞に載っているようだが、刑法学者や心理学者たちも定説を出せるには程遠い状態らしい。そうかもしれない。簡単に答えが出るだけ、人間も、社会も単純ではないのだから。それは各自が自分の事を考えても判る。これが自分の生き方だとまともに話せる人はいるだろうか。僕はいまだにそれは出せないし、これで良いと最近は思うようにもなっている。若い時はそれが悟れず、人に「自分の生き方を考えろ・決めろ」と言われて、心傷ついた事もあった。実際は、そのように言った人も自分の生き方は決められない状態だったわけだが。無責任に他人の事を言うのは良くないわけである。蛇足になったが、人間の生き方の複雑さを述べる為、あえて書いたわけである。