トシコロのありのままの暮らし


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麻原彰晃死刑囚を通して思うこと二つ

2016-07-11 13:02:34 | 日記



  その本名は、松本智津夫。オウム真理教を作り、サリン大量殺人事件などの憎むべき主犯である。そこから僕が今の時点で思うことを二つ述べたい。

  一つは、多くの評論家や心理学者が家庭環境や生い立ちから、犯罪に至った経緯を述べている。「親や親戚から差別された点が原因」とか、「麻原が在学していた時の熊本盲学校の教育が悪かった」とか。有識者らしく、どの説も一理はあり、僕もうなずく面はある。それと同時に、「では、麻原と同じ境遇で育った視覚障碍者はどうなのだ」とも思うのだ。もし、家庭環境と教育の二つが原因としたら、同じ育ち方や似た育ち方をした人は、視覚障碍者に限って言っても、世界中にたくさんいるわけで、それこそ、そのような人たち全部が麻原みたいに悪い人になっているはずだが、そうなっていないから。有識者たちの議論は一面的、二面的にしか麻原を見ていないと思う。何も麻原に限らず、全ての人間は無限に多面的で、一面や二面について述べられるような存在ではないと。麻原が悪い人になった原因も本当にたくさんあるはずだし、それはヒットラーやポル・ポトについても言えると。

  もう一つは、死刑が宣告されながらも今も生きている点です。もし、早くに死刑が執行されたら、当然死ぬわけだから、その時点から少し経た時点で、僕も忘れちゃうのではないかと。現に、忘れてしまった死刑囚は僕も多いし、皆様もそうだと思います。覚えている人は刑事や弁護士くらいでしょう。

  死刑には、「法や国が人を殺せるのか」と言う論議もありますが、その他に、多くの人々が死刑囚や事件を忘れたら、事件の再発には役立たないわけで、これでは仕方ないと思います。事件の再発を防ぐためにも犯人は生かしておいた方が役に立つかもしれません。終身刑とか、死刑にするとしても、執行を非常に遅らせるとか。その点、麻原の死刑執行は遅れており、その面では日本社会もいまだに忘れていないわけで、それで良いのかもしれません。

 麻原が他界してもこの問題は後世に語り継がなければなりません。

麻原彰晃死刑囚を通して思うこと二つ

2016-07-11 13:02:34 | 日記



  その本名は、松本智津夫。オウム真理教を作り、サリン大量殺人事件などの憎むべき主犯である。そこから僕が今の時点で思うことを二つ述べたい。

  一つは、多くの評論家や心理学者が家庭環境や生い立ちから、犯罪に至った経緯を述べている。「親や親戚から差別された点が原因」とか、「麻原が在学していた時の熊本盲学校の教育が悪かった」とか。有識者らしく、どの説も一理はあり、僕もうなずく面はある。それと同時に、「では、麻原と同じ境遇で育った視覚障碍者はどうなのだ」とも思うのだ。もし、家庭環境と教育の二つが原因としたら、同じ育ち方や似た育ち方をした人は、視覚障碍者に限って言っても、世界中にたくさんいるわけで、それこそ、そのような人たち全部が麻原みたいに悪い人になっているはずだが、そうなっていないから。有識者たちの議論は一面的、二面的にしか麻原を見ていないと思う。何も麻原に限らず、全ての人間は無限に多面的で、一面や二面について述べられるような存在ではないと。麻原が悪い人になった原因も本当にたくさんあるはずだし、それはヒットラーやポル・ポトについても言えると。

  もう一つは、死刑が宣告されながらも今も生きている点です。もし、早くに死刑が執行されたら、当然死ぬわけだから、その時点から少し経た時点で、僕も忘れちゃうのではないかと。現に、忘れてしまった死刑囚は僕も多いし、皆様もそうだと思います。覚えている人は刑事や弁護士くらいでしょう。

  死刑には、「法や国が人を殺せるのか」と言う論議もありますが、その他に、多くの人々が死刑囚や事件を忘れたら、事件の再発には役立たないわけで、これでは仕方ないと思います。事件の再発を防ぐためにも犯人は生かしておいた方が役に立つかもしれません。終身刑とか、死刑にするとしても、執行を非常に遅らせるとか。その点、麻原の死刑執行は遅れており、その面では日本社会もいまだに忘れていないわけで、それで良いのかもしれません。

 麻原が他界してもこの問題は後世に語り継がなければなりません。

麻原彰晃死刑囚を通して思うこと二つ

2016-07-11 13:02:34 | 日記



  その本名は、松本智津夫。オウム真理教を作り、サリン大量殺人事件などの憎むべき主犯である。そこから僕が今の時点で思うことを二つ述べたい。

  一つは、多くの評論家や心理学者が家庭環境や生い立ちから、犯罪に至った経緯を述べている。「親や親戚から差別された点が原因」とか、「麻原が在学していた時の熊本盲学校の教育が悪かった」とか。有識者らしく、どの説も一理はあり、僕もうなずく面はある。それと同時に、「では、麻原と同じ境遇で育った視覚障碍者はどうなのだ」とも思うのだ。もし、家庭環境と教育の二つが原因としたら、同じ育ち方や似た育ち方をした人は、視覚障碍者に限って言っても、世界中にたくさんいるわけで、それこそ、そのような人たち全部が麻原みたいに悪い人になっているはずだが、そうなっていないから。有識者たちの議論は一面的、二面的にしか麻原を見ていないと思う。何も麻原に限らず、全ての人間は無限に多面的で、一面や二面について述べられるような存在ではないと。麻原が悪い人になった原因も本当にたくさんあるはずだし、それはヒットラーやポル・ポトについても言えると。

  もう一つは、死刑が宣告されながらも今も生きている点です。もし、早くに死刑が執行されたら、当然死ぬわけだから、その時点から少し経た時点で、僕も忘れちゃうのではないかと。現に、忘れてしまった死刑囚は僕も多いし、皆様もそうだと思います。覚えている人は刑事や弁護士くらいでしょう。

  死刑には、「法や国が人を殺せるのか」と言う論議もありますが、その他に、多くの人々が死刑囚や事件を忘れたら、事件の再発には役立たないわけで、これでは仕方ないと思います。事件の再発を防ぐためにも犯人は生かしておいた方が役に立つかもしれません。終身刑とか、死刑にするとしても、執行を非常に遅らせるとか。その点、麻原の死刑執行は遅れており、その面では日本社会もいまだに忘れていないわけで、それで良いのかもしれません。

 麻原が他界してもこの問題は後世に語り継がなければなりません。