トシコロのありのままの暮らし


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中学・高校時代にS園を訪問したら?

2016-04-11 10:58:48 | 日記
  結論から先に述べると、見下すだけだったと思う。「自分は重い障碍を持っているが、園生たちの障碍はもっと重い。だから、僕は幸せだ」と思って。理由はまだ思考力が弱く、問題意識を持てない状態だったから。その想定に当たって,小学5年生あたりからの僕や同級生の事を思い出してみた。

  大体、現代の日本では、子供たちは小学5年生あたりから自我が芽生える。僕や同級生たちもそうだった。でも、自我と思考力は同時には芽生えない。思考力は非常に遅れて芽生える。問題意識も思考力の上に成り立つものだから、もっと芽生えは遅れるわけである。

  小学5年くらいから、各自好きな事に没頭する人が増えた反面、会話が。「ブタ」とか「キチガイ」という差別語が飛び交うようになり、担任の先生が「それはおかしい」と注意したが、効果はなかった。その後はそれがひどくなり、例えば、体が弱くて常に遅刻する人をバカにするようになった。中学1年の時に僕の学年に来た教師志望の学生S氏は「彼は体が弱くて、遅刻するのに、バカにするのはおかしい」と皆に注意したが、誰も聞き入れなかった。また、中学2年の時に編入して来た知能障碍のある生徒に対してはもっとバカにした。公然と「お前は気楽でいいなあ」と言う人もいたわけだし。以上の二人はすでに他界された方だから、ブログでも書けるわけだが、他にもバカにした例はある。後年の僕が思えば、差別に当たるが、当時は差別だとも思わず、僕もバカにした。自我が発達しても、思考力が芽生えないとこうなるわけである。高校時代になり、各自、宗教や社会の事に目を向けるなど、思考力の芽生えはあったが、本格的な思考はまだ誰もできなかった。相変わらず、「知能障碍を持った人」はバカにされ続けた。

  ならば、そのような発達状態の時期に僕がS園に行っても、園生たちを見下すだけだったと思う。更には、思考力が育っていなければ、知り合っても僕は手紙も書けず、交友も成立しないわけである。

  問題意識も持てるだけ、思考力が育った後にS園に行ったから、交流も成立した。良い時期に行ったと思う。

  僕もそうだし、同級生たちの多くは作文が苦手だったが、思考力が育っていなければ、まともに文は書けないだろう。作文が得意な人もいたが、そのような人たちは描写が元々得意か、感情を述べる事が得意な人だった。彼らも自分の思いを文にする事はできなかった。

  僕も勉強は単に面白いからしていた。問題意識を持って学ぶことはできなかった。

  僕も高校時代以前は一切に問題意識は持てなかった。記憶はしていても、その頃の事は書けないわけだ。書いても、今の僕の創作みたいな文になるはずだ。書けたものではない。また、僕の同級生たちに注意した以上の先生や学生S氏もかつては同じだったはずだが、それを忘れていたようだ。説教にもならなかったわけである。

  何も肢体不自由児だけでもない。全ての少年少女がそうだと。今の日本で問題化している少女売春の問題にも通じる。「自分の体でお金を稼いで何が悪いの」と言う事をよく聞くし、教育関係者も答えられず、非常に困っているとか。まさに、自我が発達しても、思考力がまだ育っていない状態の一つだと。イジメなどにも言える。答えは僕にも判らないが、大人の視線で少年少女を見てはいけない事も判る。大人の視線で説教してもムダである。

  自我の発達と思考の発達の時期は時代や社会状況によっても違うらしい。史上最年少でノーベル平和賞を取ったアフガニスタンのカマラさんは15歳ですでに大人以上の思考力があったと言わざるを得ない。また、日本でも江戸時代以前は6歳ごろから自我が芽生え、10歳で十分思考力があった。一応は15歳で成人式を行なったわけだが。昔のヨーロッパやロシアでも似たようなものだったらしい。「自我が発達して、思考力が芽生えない時期」に聖書の原罪を当てはめ、その間の子供たちを昔のヨーロッパでは厳しく仕込んだと、放送大学で聞いた事がある。教育系の科目だったろうか。

  とにかく、僕のS園訪問の時期設定から、教育に関する大事な事が出てきたものである。かつて、ある人に「学校時代の事を話してくれ」と言われても、話せなかったが、その理由もやっと判った。話せなくて当然だったと。今の多くのブログを拝見しても、自分の学校時代の事について詳しく書いていてる人にはお目にかかった事がないし。覚えていても語れない。だから、教育関係は非常に難しく、市民運動化もなかなかできないようである。